circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

キラ・ムラートワ/長い見送り(1971・USSR/ウクライナ)

アテネフランセにて。簿記受ける前日に、あせりながら一人で見てた。
驚愕。唖然。圧倒的。涙は出ない、そういう類のものではない。笑いすらできない。初めてヴィクトル・エリセをみたときと似たような感じ。あそこまで共感はできないけれど、金縛りにあった、しかもそれは緊縛ではない、ソフトSM的な縛り方で、たぶんあたしが動きたがらないだけ、という縛り方だった。パラジャーノフカネフスキーを見たあとは、それこそ力で捻じ伏せられ、緊縛されたのだけれど。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16520
例によってソ連によって「隠されて」しまった映画であり、映画監督である。隠された女性監督、キラ・ムラートワ。ソ連という国は、ひょっとしたら圧制によってこれだけのすごい映画-監督たちを逆説的に生み出してしまったのではないかとすら思える。常識を超えたすごい映画は必ずソ連だ。パラジャーノフ「火の馬」、カネフスキー「動くな、死ね、甦れ」、ソクーロフ日蝕の日々」「マザー・サン」、それにタルコフスキー「鏡」ノスタルジア」等等。これらの作品はあたしの「映画」という概念そのものをひっくり返した。映画はまず音である、ということを認識させられた。たとえば「日蝕」の、ノイズみたいなすさまじい音楽。タルコフスキーの沈黙。そして音の感性のいい監督はなぜか必ず映像も美しい。ただ、これらの作品はレンタルもされている(あ、「マザー、サン」…)し、DVDもでている。これらの作品にまったく見劣りしないのが「長い見送り」だ。またしても、「わけのわからないもの」をみてしまった。悪い意味ではなく、いい意味でわけがわからない。わけがわかりすぎて、どうしてこんなことを思いつくのかがわけが分からない。冒頭、浮遊するように移り変わっていくショット、カメラの突然の動き、フォーカスのとつぜんの動き、木の向こうで話している女の子をぼーっととっていたり(そのあたりの実験性は「火の馬」ににているが、こちらのほうが繊細である)そしてそれらをつなげているのが実は音楽なのである。ピアノ曲がなり続けている。G音を執拗に打ち続けている。そしてそのGの下を、最初は長三和音が支えている、が、次第にショスタコーヴィチ的展開になりはじめ、和声が狂い始め、その瞬間ごとに映像が変わり、ピアノがフォルテになると映像もフォルテになり、ピアノが静かにまた長三和音の世界に戻ると映像もまたそれに付随して追いかけてくる。すごかった、ピアノの狂い方がまったくすごかった。生々しかった、ミスタッチまでもが(「四季・ユートピアノ」の中尾幸世自身の生き生きとしたミスタッチに似ている)。そして、物語自体はたわいもないのに、映像だけで見飽きない。というかおなかいっぱいになってしまう、その物語を忘れさせる恍惚、これが映画を見るときの一番の快楽だと思う。だからハリウッドは嫌いなんだあたしは。物語なんてどうでもいい、イきそうになる瞬間がいくつかあれば、宝石のようにあたしの心に突き刺さるシーンと音があれば、それで愛することができる。この映画はそういう完璧なシーンがちりばめられていた。女の子の視線と男の子の視線の交差、ソ連だからエロシーンは撮れない、だからこそ逆に徹底的に考えられた、視線だけでのエロティシズム。90度に交差した椅子を後ろからとって、あたしからは彼らの視線の交差は見えない。ただ、椅子の真ん中に白い犬が座っているのだ!!!!!!!!!そして彼らはおなじ犬を撫でているのだ、その二つの手が白い犬の背中を撫でるクローズアップ!!!!!!!!!!!!!!!これはだてなエロシーンには勝てないエロさだった。なにしろ、二つの手は、決してふれあわずに、ただ、犬を愛しているのである。にもかかわらず、なにかのエロティックな思いが二人に交差している、とくに女の子の手の美しさ、彼女は白い服を着て、彼は黒い服を着ている、そして71年の映画にもかかわらずわざとムラートワは白黒映像を選んでいるのである。女の子の白さの美しさは尋常ではなかった。男の子の悩みが黒に表れていた。女の子の髪の毛は金色(おそらく)に輝き、そこに結ばれた黒いリボンを男の子は後ろからほどいて、その髪にキスする、のは、彼の妄想だったのだろうか、あの光。しかし、リボンは女の子が立ち去ってから彼女の椅子の上に残っているのである。そしてそのリボンを拾い上げ、家の中に歩いていき、柱を一本超えていっしゅん見えなくなった後、また男の子は柱から現れて立ち止まり、、その黒いリボンを内ポケットに隠すのである。その動きの繊細さと、なんともいえない恋の気持ち、みたいな。後半はまたぜんぜんとんでもない展開になっていって、まるでヒッチコックのサイコみたいになったり(男の子の部屋)、いやもうとんでもなかったです。激お勧めです。DVD化しろといいたい。ソクーロフ再発見の動きが激しい今、ムラートワをもう一度応援すべきだ、彼女はなにしろまだ作り続けているのだから。カネフスキーも応援すべきだ。だれか日本のお金持ちさんがそばれ。とにかくこの映画を見る機会があれば飛びつくべきです。今でさえこれは前衛です。すごい現代性。ハイパーお勧め。