たゆたううみのむこうに、あたたかな愛があるにちがいない。そう思ってぼくは船にのらない、のらないでうみを見ていた。くじらと、くじらを憧れるひとはどちらの方が自由なのだろう。憧れることができることにきっと自由があるのだから、ぼくは泳がないで泳いでいる子どもたちを遠くで眺める子どもでした。背中を向けておいた本。本を読む子どもたち。虫を取りに出かける子どもたち。彼らもまたくじらのようなものであったのかもしれません。

愛について何が語れるというのか
poemという単語の発音はこちらではポーゥムという
大西洋のあちら側ではポウィムになるようだ
ポエムのエにこそすべての罪があるのではなかったか
萌えが萌うだったらどうだったか
IPAのようにみんなが話すわけではないけれど
つづられるようにカタカナを当てるところから日本語が間違えていく
アワードではなくてアウォードなのに、とかさ
そして、愛について何が語れるというのか
愛しているという言葉をポウエティクでなく使ったことがあるというのか

ねむっている
君はわらって
ねむっている
わたしは電話を
かける君に
ねむっている
わらって
起こすことになる


住んでいる
眠らない街
わたしは
起き続ける
から
わたしは
ぼんやりしている


あなたは
しに向かおうとしている
わたしは
できない
電話をかけようと
こわいから
あなたがそれを
取らないことを