circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

よくわからない ふしぎなゆめをみた まちをあるいているわたしのそでをあなたはつかみ、わたしたちは出会った。ふたりで風のふく不思議な植物が転がっていく道をあてどもなく歩いて行った。わたしのことをあなたは知らなかったのに、わたしはあなたの手をつ…

相方の祖母が来て、私の夢にも祖母が来た。プロンプトを打ち込んだ生成AIと夢は何が違うのだろう。夢の祖母は言う、誰かの代理の仕事は辛くて続かないだろう。わたしのミシン仕事は、とにかく必死にやった、女性の自立というのではなく、仕事が来るし、やっ…

アキ・カウリスマキ/枯れ葉

好きな監督の新作を見るということがあとどれぐらい人生であるのかどうか。ユーロ・スペースにて。またしても急に入る日本語の歌、さんざ泣かされたラヴィ・ド・ボエームのラストの「雪の降る街を」を思い出していたら、同じ人らしい、フィンランドの日本人…

あたたかい家の中であめのおとをきいている よる おちつく 外は寒い 濡れているわたしが 中を見ている 中にいる私は それと比べて幸せになる いまたくさんの人が 雨の中で打たれている わたしはぬくぬくと 不幸せの欠片を食べる 何ができるか有能か それより…

くえるかくえないかという問題とは別に、そこへ向かって一度でも足掻いたかという、未完の行為という言葉がある。私は、やり遂げないまま未完の行為を積み残し続けている。私自身のやりたいことや、家族にたいしてや、、、それをどうするかという問題。食え…

感情が振り回され続けているの というひと言をここに書くときに、わたしが書いていることはわたしの心の上に だからわたしはわたしを見つめ返してしまうその目はわたしを見つめ返してしまう そのトリガを引いちゃだめ

雨のなかを踊っていたの

感情を浪費すると、睡眠時間が減り、少しずつ生きるのがしんどくなる。書くことは感情の浪費ではないと信じたいのだけれど、書くと大体なにかが起こってしまう。承認欲求なのだろうか。私探しから承認欲求への移行は、インターネットに何かを書くということ…

ロメール/冬物語、再び、そしてネタバレ

ロメール/冬物語の残酷さは【以下ネタバレのため、見ていない方は読まれぬよう】、主人公があまりにも真っ直ぐに愛を信じることができるような、徹底的に幸福な失敗で関係を断たれたことで、もしこれがあそこまで徹底的な失敗でなく、すこしでもフェイドア…

エリック・ロメール/恋の秋

「冬物語」の衝撃から立ち直れていなくて、目もしばらく涙が枯れたみたいに眠い続きだったのだけれど、、、冬物語のいろんな人の感想をよんで、わたしは主人公に没入しすぎたし、共感しすぎたのだと他の人と比べて思った。今まででベストロメールと思ったけ…

シャンタル・アケルマン/一晩中

これはちょっと眠かった。ものがたりを語る気がないのだと気づくのには暗すぎたためにか遅すぎた。同じ場所を写すから関連性を探すのだけれどもともと人の顔がわからない人だからわたしのせいだと思っていたら本気で関係ない人たちを同じ場所に連れてきては…

エリック・ロメール/冬物語

フェアリー・テイル。前も後ろもなく泣く。現代のベルナデット・スビルウの物語。Par hazardということは、災難という意味ではないらしい。あるいは幸せな災難だったのではないだろうか。一通り泣いてから、マリー・リヴィエールが目で語った物語を考えてい…

僕たちの求められないラブアンドピース

大きく背中のあいたワンピースを着て、後ろにくくった湿り気のある短い髪に、迷ってたどり着いたような小さな顔で、それが一つの名詞みたいにまとまって離れずにあった、梅雨が来たのだ、そこだけに

シャンタル・アケルマン/街をぶっ飛ばせ(1968)

まず何にせよシャンタル・アケルマンの声が綺麗でかわいい。出鱈目に歌っている映像と必ずしも同期しないアフレコの歌で成立してしまっている(一方で擬音語みたいなのも言っている)。「ジャンヌ・ディエルマンをめぐって」を見た時に驚いたのは、あの映画か…

シャンタル・アケルマン/家からの手紙

10番街を北上する 延々と続く移動撮影 私のニューヨーク 3ヶ月しかいなかったけど この辺りはたくさん歩いた たくさんというのは嘘 でも歩いた ポート・オーソリティのバスターミナルへと上がっていく立体道路 あの螺旋が上がっていくのを10番街を北上するカ…

サミー・フレイ/《ジャンヌ・ディエルマン》をめぐって

「ジャンヌ・ディエルマン」のメイキング。よくもまあ25歳の無名の女性監督の映画に注目してメイキングを撮ったものだと思う。最初からこれがいつか歴史に証明されると判断したサミー・フレイおよびその恋人かつ主演女優のデルフィーヌ・セイリグの確信のす…

シャンタル・アケルマン/ノー・ホーム・ムービー

辛い。いつからか遺作にするつもりで撮っていた、あるいは編集していたのではないか。荒れ果てた土地に吹く強い風から始まり、荒地はときどき挿入される。監督の内的光景か、あるいはブリュッセルをはなれたアメリカかどこかなのか。監督の老いた母がどんだ…

シャンタル・アケルマン/ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地

まずは聖地巡礼から。 https://maps.google.com?q=Quai%20du%20Commerce%2023,%201000%20Bruxelles,%20%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC&ftid=0x47c3c3856e791205:0xfd89825e10a5d573&hl=ja-JP&gl=jp&entry=gps&lucs=s2se 郵便番号が違うようだが… 邦題…

シャンタル・アケルマン/アメリカン・ストーリーズ

「東から」が良かったのでとりあえずいま下高井戸で見れるもの全て見ようと思う。今のところ東からが一番良かったのだが。冒頭、ストローブ=ユイレ「アメリカ」で見たような海からのニューヨーク、自由の女神(「アメリカ」ではストローブ=ユイレの徹底したと…

シャンタル・アケルマン/ゴールデン・エイティーズ

「東から」の落差。ミュージカルと知らずミュージカルだったので驚いた。正直音楽はよくない。しかし泣いてしまった。報われないもの同士が抱き合って慰め合ってそれでも生きてくんだということを、異様に力強い台詞回しでデルフィーヌ・セイリグが言う。こ…

シャンタル・アケルマン/東から

ストローブ=ユイレ「早すぎる、遅すぎる」に対する映画界からの唯一の返信、とストローブが言っていたような記憶があり、それならば見ないわけにいかない、と思って。字幕なし。何がが話されているのかわからない。最初はアケルマンだからフランス語かな、と…

かたい とがったものをふんづけて あしのうらからやわらかい こころまでささってしまった ねられない おなじものをふむのは にどめ かばんに入った 上を向いたペン ふんだ ささった さけんだ さけんだ それから 刺されたわたし 刺されてもいきているわたし …

文藝別冊「須賀敦子の本棚」より四方田犬彦『須賀敦子と詩的なるもの』より 「須賀敦子の著作を見渡してみると、ミラノや、ヴェネツィア、ナポリ、トリエステと、イタリアのさまざまな都市を表題に歌ったものはあっても、ローマはそこから脱落している。ロー…

ドン・シーゲル/殺し屋ネルソン

また、蓮實総長の冒頭20分の煽り付き。殺し屋ネルソンの上映で満員になったのか、総長の「仇討ち」をみんな見たかったか。 「しかし、ドン・シーゲルの『殺し屋ネルソン』については、いまだ仇をとっておりません。」 https://gendai.media/articles/-/11078…

ジョン・フォード/コレヒドール戦記(1945)

蓮實御大の冒頭20分の解説付き。御大、どの作品を見ていない方や、このシーンで泣かない方には、やたらと暴力を振るうとか夜道に注意せよとか、仰る口の悪い芸が極まっている。淀川さんみたいに金曜ロードショウとかの映画の最初と最後に出てきて口の悪いこ…

ジャン=リュック・ゴダール/こんにちは、マリー

とんでもない名作だとやはり思う。ゴダールの神経症的なブツギリ音楽や騒音の全てがここでは意味が染み込んでくるようにわかるのはいつも中心に不可視なほどの美であるミリアム・ルーセルの憂いだ顔と美しい裸体があるからか。ドヴォルザークのチェロ協奏曲…

キラ・ムラートワ/無気力症シンドローム

同監督の「長い見送り」に囚われてから以降十数年ずっとみたかった映画。待ちすぎた感と、私自身が無気力症シンドロームに犯されているのだなという感じ。長い見送り、をみた時に確かに覚えた瑞々しさ、眩しさのようなものは感じなくなり、このやたらな暴力…

わたくしを裏から表へ突く視線 あなたが生きていても死んでいても、どちらの世界にもあなたの存在を知る人がいるかもしれない 生きていてもあなたの存在をもう認識してくれない人がいる この二つは同じことだろうか?いなくなった人はあちらにいると考えるこ…

あなたは寝ながら 寝ている 寝ずにいて夜 寝ている 朝には 寝ている 昼に何か別の夢の中で何かしているようで夜になると違う 自分が現れる、頭が逆回転を始める 寝ている のか起きているのか 寝ながら寝ているのか 寝たいのか 起きたくないのか 寝ずにいたい…