circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

2018-01-01から1年間の記事一覧

愛について何が語れるというのか poemという単語の発音はこちらではポーゥムという 大西洋のあちら側ではポウィムになるようだ ポエムのエにこそすべての罪があるのではなかったか 萌えが萌うだったらどうだったか IPAのようにみんなが話すわけではないけれ…

ねむっている 君はわらって ねむっている わたしは電話を かける君に ねむっている わらって 起こすことになる 住んでいる 眠らない街 わたしは 起き続ける から わたしは ぼんやりしている あなたは しに向かおうとしている わたしは できない 電話をかけよ…

死のないまちに 大きな鳥が飛んでくる それを見ていた 冬

群れから外れて、羊は行ってしまったので、牧童はそれを追いかけて、霧の中へ消えていってしまう。一人でどこにいってしまったの?あたりは寒くなり始めて、羊はひとりぼっちに違いなく、牧童はただ孤独を共有できるだけで、近くには死が座っているのでした…

死にたいと言ったらおしまい おしまいよ

府立図書館にきました 病気だったとき毎日歩いてきて、ファインマンとスティグリッツを読んでいたのですが、ファインマンは早々に脱落して、スティグリッツは読み切ったものの内容を全く覚えていません それが病気と関係があったかというとあったのでしょう …

夏の、海の中に、風が吹いて、そこに概念として消えていこうとしている、微笑み

時を止めることが詩にはできる。予測文法に従わないこと。自らの意思で時を止めること。生の連続に死の瞬間を挿入することもできる。進まずに漂うことも…できる。繰り返すことも。愛しています。愛しています。愛しています。

インターネットの中に外の世界を求めてはならないのは、わたしがわたしの内面をインターネットの中に探しているからだと思う。

美しさに耳を澄ますように 身体を澄ます 佇む ほほえむ

私自身は下らない。私から出てくるものも下らない。私より外に何かがあると信じていた。外にあるものを吸収して、でもそれが何かに化けるような気もしない。追い込まれている。

世界はいつも僕らの外側に少しだけ広い、と思ったことがあります。世界の中心と思っているところに、じつはあこがれはなく、周縁と思っていたようなところに、驚くほど美しい人がいるのだろうと思います。わたしもまた、中心から周縁への転回点に向かって、…

私の知らない世界の果てでこんなにも美しい人たちがいたのなら、私の知る世界の中でどうして死んでしまう必要があったのでしょうか。太陽の下で自分らしく伸び伸びと生きているひとを見て、別に今の場所で頑張らなくていいのかもしれないな、と思いました。…

でも、投げ瓶は星の光線のたけひごに庇護されて進み、あなたにちがうかたちで届いているような気がわたしはしています。こんなにわたしがいまだにあなたのことをわすれられないということは、なにかのかたちであなたに落ちているにちがいないのです。 わたし…

手のひらにひかりをあつめるひかりをあつめるあなたのせなかをみつめるあなたのせなかをみつめるひとびとみつめるひとびとの視線をれんずのようにあつめるあつめられた視線がひかりとなり鍵盤へ落ちる鍵盤から風穴へ空気は流れる空気はあなたのせなかから、…

あなたがみていたのは ひかりのまじゅつ

境界線 夜と朝の境界 それで終わってしまう おもらしして起きて 広がっていくあたたかさの 取り返しのつかなさは 混沌を突き抜けて 境界線をとろかして ちきゅうをおおって ふくいくとほほえむ

魔法を見せよう。猫背の人は静かに微笑みかけ、手を閉じて開いた。丸いものが浮かび上がる。この人は私の知らないところで、私の知らないものを見てきた。そう私は思った。それは夏だった。 夏の終わり。いつまでも続く夏の終わり。私は手を閉じる。そしてま…

自分の書いたものを読んで、意外にいいこと言ってんじゃん、てなって、3時間ぐらい放心状態になることがある

寝たきりになったときにはとてもショックだったが、それを引き受けて生きてみれば、こんなに面白いものだったのかと思っている、引き受けて、そこでできることをやってみること、とテレビで寝たきりの方が話していた。引き受けて、その場所で、できることを…

見るもの全てが美しく見えたあの一年に戻りたいと思うことがあります。

昼下がり、哲学の道を歩く。道の真ん中で女子中学生三人が、見たことのない涼しげな制服で、ノートを持って外国人旅行者のお姉さんにインタビューしているのを、少し離れて若い女性教師がタブレットでビデオを撮っているので、私も他の観光客も邪魔しないよ…

きょうの贈りさん原稿で削った部分https://po-m.com/forum/myframe.php?hid=819OQさんと名乗られている時期があり、それは恍惚が黄金期を終えて、鉄の時代に入った頃と僕が思っている時期で、サザンがQということと、オクリさんのOQの2つの掛けがかかってい…

こちらからあちらへ抜ける 砂あらし

病室、消灯後に天井に現れた花火、屋上の遊ぶ子たち

綱を渡るように光の条を渡っていく。日焼けした文庫本のページをまさぐる。海から海へ、太陽の方へ。

晴れた広い青山の道をブリッジのチェロソナタ一楽章と歩く 光がさんざんと降ってくる 目を閉じる

行き帰り 襟を立てて歩く 風が静かに吹いて だけど僕の行くべき道を示してはくれず 上向いて歩けば星も出ていない

あしもとが割れて世界ががらがらと崩れていく 舞い上がる瓦礫の隙間から笑っている君を見る おかしいということのうつくしさだとか

余生の中で、それでも君は何になりたい。100年生きるとして、私はもう欲はないとして(無いのだろうか?)、捧げたい何かがあるのだろうか。隣人は概念か。ありとあらゆるところに地獄はある、相対的なものではなく、絶対的に。身近な地獄から目を離して遠くの…