circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

しばらく、言葉による表現という場所から僕は逃げたほうがいいと思う。映像より音楽より絵画より、言葉による表出は死に近い。そして小説よりももっと直接/直截な表出である詩が一番恐ろしい。言霊という言葉は安いので使いたくないのだけれど、それに対抗できるだけの圧倒的な精神力がないと、多分詩を自己表現の手段には用いることができない。つまり、もしキチガイであり続けるならば、吉増剛造のようなカリスマ的圧倒的精神力が必要だろう(おそらく武満徹吉増剛造と同じタイプの人だったに違いないと思っている)。あるいは、表現内容や言葉による表出方法のほうをもうすこし安定したものにするか。谷川俊太郎はこの道を選んでいる。


あたしはキチガイなフィーブルだから、いま、手にできる表出手段として簡単に詩に飛び込むのは危うい。あたしがキチガイになった理由のひとつにたぶん詩がある。あまりにも安易だった。どうしても言葉だというのなら、あたしは小説を書くべきだったし、だけど、もうその年齢を過ぎてしまったと強く感じる。サガンと綿矢のことを思うと、まったく、「するりと」かけてしまう時期というのを逃したと思うし、そもそもその才能がなかったのだと思う。彼女たちは実にするりと第一作が「かけてしまった」と自分で言っているし、あの17、8歳たちの言葉に嘘はないと思う。サガンに関して言うと、2作目を読んでもう読む気がなくなったし、綿矢に関して言うと、3作目を読んでもう読む気がなくなったけれど。


表出、ではなくて、身を捧げたい、というほうが多分近いのだけれど。もしなれるなら吉増/武満の精神力を持ったキチガイになりたい。だけど、それは凡人に天才になれと言っているのと同じことだろう。あたしはすくなくとも天才じゃない。


 今夜、きみ
 スポーツ・カーに乗って
 流星を正面から
 顔に刺青できるか、きみは!



なんて、絶叫したりできはしない。



 剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!



なんて、絶叫したりできはしない。これは、本気のキチガイであって、あたしは論理と恥の呪縛から逃れることは、言葉の上ではできはしない。



 雨がふる
 太陽はむこうで半円をえがく、東から西へ
 大地が割れる
 骨が流れる
 うさぎが見ている
 ぼくは登る


 地震、洪水、雷鳴、嵐をついて
 褶曲、逆断層、落石のなかを
 創造の神域へ登る
 おお 肉よ 羽撃け! 骨よ 流れよ! 心よ 腐れ!
 ぼくは登る
 ぼくもひとつの造陸運動だ!


吉増剛造「海の恒星」より。『黄金詩篇思潮社(1970)所収)


ぼくもひとつの造陸運動だ!なんていっている人が、いま静かに老いていくなんてことが、ありえるだろうか。自分で命を絶たないままに生き続けること。亡霊や幽霊をみながらも生き続けることの精神力について。それを意味性から離れながら言葉にしていくという矛盾した行為を続けるということについて。意味性から離れるということは生きるということから離れるということにほとんど等しい。論理から離れていくのだもの。意味不明なことを話しながら生きていくのだもの。そんなことが並大抵の精神力でできるわけがない。


なにもない、なにもない、なにもない。音楽も、映像も、絵画も、言葉も。すべてはつくり果ててしまった、と思う。あたしごときにできることなんて何もない。
音楽はマーラーの死で一度死に、シュトラウスの死でもう一度死に、バーンスタインの死でもう一度死に、武満の死でもう一度死んだ、もう興味がない!ロックは新しく生まれて死んでいくだろうけれどたぶんあれは永遠なる繰り返しだ。ビートルズという天才が30代で凡才に帰り、クイーンも同じ動きをし、くるりもまた同じ動きをしている(レイディオヘッドよりくるりのほうがより先鋭的だったと思う。"OK computer"でさえ「図鑑」には勝てないと思う、だけど"KID A"がある、あれはくるりにはできない。たぶんレイディオヘッドは"KID A"でキチガイの頂点を迎えてしまったのだろう)。本質的はすべて横断的に同じで、20代のキチガイエネルギーを天才的に表出できたということなのだろうけれど、あれはもう年をとるとだめになってしまう。くるりは「図鑑」以降キチガイをやめてしまった、岸田本人がそういっている、キモイと思われるのはもういやだと。だけどそれがなくなったらもうなにものこらない。スーパーフィシャルなカラヤンの世界だ。
映像。奇跡的にビクトル・エリセアレクサンドル・ソクーロフがまだ同時代に生きている。「エル・スール」の作者と「マザー、サン」の作者があたしと同時代に生きているだなんていうことが信じられない。だけどソクーロフはもう衰えを感じる、なにか神性が消えた。エリセはいまやっと長編4本目を撮り始めているらしい。佐々木昭一郎はもう何も撮るつもりがないのだろうか。すべては、なされてしまった、でも、「すべてはなされてしまった」を前提にしているもう一人の天才ゴダールには興味がない、オリジナリティを信じないひとに興味はない、企みの元にやけくそな人に興味はない。ゴダールに関連して、「すべてはコピーと切り貼りと組み合わせだ」ということを当然とした上に立脚している感をあたしが持ってしまう現代哲学の流れにも興味はない。あたしは前時代的に、オリジナリティというものを信じている。なにしろ世紀末にいまだ「マザー、サン」が撮られていたのだから。あれのどこが剽窃なのだろう、あれは息づいている、まったくの奇跡がいまだに起こりうるのだ、ということにあたしは興奮したし同時に絶望もした。あれだけ映画は死んだと言われ続けながら、こんなにも真に本質的で同時に前衛的なものを撮ってしまわれたら、あたしはどうすればいいのか。あたしは映画の最後30分泣き続けて、山手線でも涙目で、しばらく呆然としていた、今でさえ、映画のことを考えると頭のなかが「マザー、サン」という文字で1000回ぐらい埋まってしまう。あれは世界で一番美しい映画だとおもうし、あたしはその映画をもう見てしまった。だからもう、おしまいだ。完璧なものをみてしまったら。自分の到達し得ない完璧をみてしまったら。ポール・ヴァレリーのように、マラルメランボーに対して白旗を揚げて退散するしかなくなってしまう。
絵画にはあまり興味はない、もうオペラと同じように、過ぎ去った芸術分野だと思っている。オディロン・ルドンがまだ生きていた時代ならば。マティスがまだジャズを切り貼りしていたら。だけど、もう、いい。元に戻ろうという動きをとりたくない。
詩に関しても同じ。もうやりつくされてしまった。フランシス・ジャムのようにジャム宣言みたいなことをして、時代に逆らっても、なにかが違う気がする。立原道造を愛しているけれど、そう、あの繊細な感性はたぶんそれを支える精神力がなかったために24歳で夭折せざるを得なかった。あたしはもはや現代に立原が生まれえるとは思わないし、あたしが立原になれるとおもわないもう26歳だもの。そして26で死んだってもうなんの商品価値もないわ(それはもう20歳で死んだガロアがいる時点で、夭折の天才という人生芸術には終止符が打たれてしまっている)。かんちがいしてはならないあたしは天才ではない。もんだいはあたしがどうやってそれでも生きるかということであって。
精神力なのか。ひょっとしたらやっぱりゴダールなのかなあ。すべてを知っていて、知らないふりで組み合わせていく。あるいは瞬発力なのか。そうだ、それでもまだ、あたしたちは高橋悠治を持っている!



すべてへのレクイエムとして
QueenのAll dead, All deadを
あたまにながしながら。


All dead all dead
All the dreams we had
And I wonder why I still live on
All dead all dead
And alone I'm spared
My sweeter half instead
All dead and gone all dead


なにもない、なにもない、
あたしがみていたゆめたちも。
なのになんでまだ生きてるんだろう。
みんな死んだ、みんな死んだ、
あたしはもうひとりきりだ
でもあたしのきれいだった半身はもう消えた。
みんな死んだ、行ってしまった、もうなにもない。


ブライアン・メイ