circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

レオス・カラックス/汚れた血(1986・FR)

部屋にて、プロジェクタで、一人。
どこがヌーヴェル・ヴァーグの子なんだ。ゴダールトリュフォーなんかよりずっといいじゃん。ずっと洗練されてる。ずっと現代的。勝手にしやがれとか、大人はわかってくれないとか、あんな芸術くさいもんより、ずっとずっと面白いし、ずっとずっとカッコいい。要するに、ゴダールトリュフォーのデビュー作はもう古びているけど、汚れた血は古びていない。白黒とカラーの問題じゃない。感情の問題だ。最後のブリテンのシンプル・シンフォニーの3楽章の入り方はどうだろう。ジュリエット・ビノシュのラストシーン、あそこまではあたしは「ふーん、すごいねえ、でもムラートワの方がずっとすげーや」と思ってみていた(ムラートワについては後述)。たしかに色は綺麗だったし、デビッド・ボウイにあわせて疾走するドニ・ラヴァンはまるでこのためにボウイが書いたんじゃないかと思うぐらい完璧だったし、ガラスの反射の使い方(初めてビノシュをバスで見かけるシーン?+友人が追いかけてくるシーンの右目)も面白かったけれど、それはどこかで見たことがある(ガラス反射の衝撃はタルコフスキーの「ノスタルジア」のほうがすごいと思う)。しかし、ラスト1分でぼろなきしました。ジュリエット・ビノシュが存在としてすごい。美人とかそういう次元を超えて迫ってくる。こっちへ迫ってくる。その上にブリテンをかぶせてくる。これ泣かないわけにはいかないよ。無理。
なんというか、映画史に残るべき名作としてはむしろこの一つ前にみたキラ・ムラートワがあまりにもすごかったので、見劣りするというか、ムラートワのほうが映画史に残るべきだとおもわないじゃないが思うんだが、しかし比較するのはよくない、これはたしかに名作だった。
ビノシュとジュリー・デルピーといえばトリコロール3部作を思い出すのだけれど、二人ともこっちのほうがずっといいよ。トリコロールよりこっちのほうがいい映画だとおもう。いろんなものが詰め込まれててびっくりした。最初まさかこんな展開になるとはおもわなかったもん。ジュリー・デルピードニ・ラヴァンが森の中で裸で愛し合っている(シーンはうつさない)最初のほうのシーンがとても美しかった。ジュリー・デルピーが最初に出てくる画面は、寝ている彼女の顔のクローズアップ、たぶん木の下で愛し合った後の時間の甘い表情のアップで、その顔の透明感といったら!こんな綺麗な女の子のアップは久しぶりにみた。めちゃくちゃかわいかった。でも服をきて立ち上がると、いつもどおりに戻るので、あああとおもったけれど。でもビノシュもデルピーも微妙な表情の変化がとても繊細に撮られていてよかった。途中まではまさか泣く映画だとはおもわなかったのに泣いてしまったな。映像は本当にいろいろ実験があったけれど、ある意味想定内で美しくて、こう美しさに気が違いそうになるという類のものではなく、おお、いろいろ面白い撮り方がでてきた、と言う感じ、ティッシュやオーバーの色使い、パラシュートの放射状の紐と抱き合う二人を上から取った映像、その無音。それにしてもラスト。ジュリエット・ビノシュは、恍惚の人の表情、白痴的な表情を自然としたときの、美しさを超えた真実味がすさまじかった。もはや「ショコラ」ではみられなくなった表情だ。「存在の耐えがたき軽さ」の時にはおなじ表情があった。けれど、こちらのほうがずっと胸に突き刺さる。ラストシーンをスティル写真で見たことがあったけれど、こんなにスティルを上回られたのは、初めてだ。お勧めです。