circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

篠島なう

上に飛んで行くこの恩恵、三度つづく、もっと、おんていふあんていであってほしい。

萌える、について、0:38の転調は相当はっとするし、そどみらというあがり方の異常さについてはもっと考える必要がある。そこでそうとう無茶なのに、さらに次にはし♭まであがるという。で、いつもすこし残念なのは(たけさんのうたいかたは、いつも独特の…

ほら吹き杉かな。。。

えっとつまり。。。たとえばオーケストラ編曲版(組曲バージョン?)じゃなくてドラマBGM版(オリジナル)の波の盆なんだけど。。。武満ってオーケストラで弦楽器がみんな同じ事をすることにグロテスクさを覚えた人じゃないですか、僕、あれ、チェロを学生オ…

takemitsuがやりたかった、jazzにたどり着かなくてはならない、いつか、いつか、和声が肉になることをしたい、たとえば http://www.youtube.com/watch?v=5bnWCSqnCl4

ぼくらは長い長い間映画館にいた(H口さん、その恋人さん、)また、乾いた戦地で...これから死ぬことになる兵士たちを見ていた、彼らは映画の最後まで死ななかったが、映画が終わった後に死ぬことになり。映画の最初にそれを弔うか(しかし何も言われない)…

生きているということの根源に存在する不安について。そこ知れぬ。 友人の家は鳥居をくぐり抜け、少し階段を上がった所に。部屋の窓から吉田山の夏の緑の光。このまちの、湿った夏の、昼の光のなかの、音と緑。友人は洗濯物を窓から、

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にしてパキシル。

時の終わり終曲と幼子イエスに注ぐ二十のまなざしのいえすのくちづけが同じ歌い方でどくどくしていることは不思議。

ねむい

生まれるの という歌を 少女は知っていたので

なつがやってきている。 さくらもちって、儚さへおもうことから、新しい目を開いて行く緑さへ向かって行くこの季節に、わたしは死にたい。四月中旬、すばらしいですよね。

幼子イエスのための眼差し、は、ピアノから星の音をさせることに成功したというだけですごいとおもう

ことばとことばの組み合わせ。1.2.3. 「例えば君は、脳を食べた。 メランコリーと数万の/よこっとび。詩とは風景をポケットに入れること、写真で撮りきれない光を言葉に収めること。あるいは水を一滴ずつ落とすように、ことばを一滴ずつたらしてゆく…

Ldoceよりyou can say that again! used to say that you completely agree with someone: ‘It’s cold in here.’ ‘You can say that again!’直訳するとおまえもっかいそれ言っていいよ!になってしまうけどそれ日本語ではあんまり賛同じゃないな。「きみかわ…

ここにいて、ここにいなくて、ここに 風船を膨らますように。 そのなにが美しいのかを、自分なりに分析する必要がある。

、私はもうここにはこないのだから。かしゃそして頭痛。恥ずかしくない詩という境地に至ることはげんだいにほんにおいてはほぼ奇跡みたい。踏ん張ってしまわざるを得ないもの。変、と言い、Tはきもい、と済ます。きもいことは、書きたくない。それだけ。ただ…

持ってるもの全部あげるから、心のちょっとの平和をくれよ! (i'm going insane you know) i'd give you everything i've got for little peace of mind http://www.youtube.com/watch?v=VNPc_ZfRZZM&feature=youtu.be&t=1m42s が好きでたまらない。とくに"l…