circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ジャン=リュック・ゴダール/こんにちは、マリー

とんでもない名作だとやはり思う。ゴダール神経症的なブツギリ音楽や騒音の全てがここでは意味が染み込んでくるようにわかるのはいつも中心に不可視なほどの美であるミリアム・ルーセルの憂いだ顔と美しい裸体があるからか。ドヴォルザークのチェロ協奏曲を神の御技のBGMとするなど考えとつかないようなことが、ごく自然に圧倒的な説得力を持つ。ロードサイドの大したことのないガソリンスタンドにタクシーに乗って天使が訪れガソリンスタンドの娘に受胎告知を行うがこれを連れてくるタクシー運転手が(父)ヨセフであるところにゴダールの独自性がある。

 

セット販売のようでどうかと思っていたミエヴィルの「マリアの本」が記憶を欺く素晴らしさで、わたしはみていなかったのではないか。冒頭にマーラーの文字をみたとき、ミエヴィルとゴダールの選択から程遠いなと思って見ていてどうせ5番の4楽章だろうと思って見ていたら、9番の4楽章でマリーが踊り出したので度肝を抜かれてしまった。まさにそれを考えていたからだ。5番の4楽章がフィギュアスケートで踊られることがあっても、むしろ芸術的に高いのは9番の4楽章ではないかと。5番ほどコンパクトでないから難しいのか、でも踊れる曲じゃないかと昨日思っていたら、突然それをし始めたので泣いてしまった。マーラーなど選ぶはずのないストローブ=ユイレが、正確にはユイレの死を偲んでストローブが、あろうことか冒頭に黒画面で延々と大地の歌の6楽章を流した時に泣いてしまったことを思い出した(ワルター/ウィーン/フェリアーのやつ)。

 

ゴダールがこれをもってルーセル三部作を終えたのは何故だろう?もう全てをとってしまったからだろうか?ジュリエット・ビノシュが同じ名前の役でミリアムと対置される、バスケットですら違うチームにいる。ミリアム=マリー^_^の背番号は10。丸を含んでいる。しつこいまでの丸のイメージの連打。太陽、月、バスケットボール、照明、そして腹式呼吸で膨らませたルーセルのお腹。尊い。ミリアム・ルーセルの美がえげつない。なぜ私が選ばれたのか、という問いが全く成り立たってない。