circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ミア・ハンセン・ラブ: すべてが許される

許されすぎだろう。これが男性監督であったらぜんぜん受け止められ方は違うにちがいない。難しいバランス。別れた娘と会うことが10年の夢だった、精神と人生を壊した詩人の前に、驚くほど青く繊細な紐で首にかかったワンピースを着た美しい娘がデートしてくれる。許されすぎだろう。監督が娘の方に寄り添うから、気持ち悪くなっていない。昨日ミア・ハンセン・ラブがルノワールの「河」の上映後に語っていたとおり、この監督は言葉が多いにもかかわらず、大事なことを言葉で語らないようにしている。エル・スールの監督が父と娘の間の静かな愛情をレストランの中で展開したように。あの父親の人差し指…あれほどの静かさと仕草の代わりに、ミア・ハンセン・ラブはとにかく歩かせる。そして、やや忙しい。ルノワールの河がすこし忙しかったように。子供が可愛い(河の子供の可愛さは異常だったが)。

ウィーンの家で、浮気性な詩人は家族の集まりでピアノを弾く妻の親戚に熱い視線を向ける。履き始めてから。ピアノに座る、何を弾くか、シューマンの子供のための曲、おそらく68番(後で調べたらop.68-5 Stückchen。死ぬほどうまかった!)、クレジットによると。このピアノがうますぎて唖然とした。映画の中で弾かれるピアノでこんなに上手く緩急が付けられているとは恐ろしい。たぶん俳優本人が弾いている。ストローブ・ユイレか。