circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

君もしつこいね、と彼女の父親は電話越しに言った。君に対するaffectionは無くなったのだ。卑怯だ、と19の時の私は言った。表に出ずにそれを親に言わせるなんて。しかし私が彼女の両親以外の友人達に公にしないまま、(公にできる)恋人になる約束をしたまま中空に停止した恋人関係を信じて当然のように振る舞っていた数々の行動が、単純に加害であった、ストーキングであったこと(これは加害者側の認識や動機を問わず被害者側の認識と受けた恐怖だけを決定要因とする)を鑑みれば、当然の報いであり、私は一生関わることを自分の倫理として自分に許してはならないことになった。しかし、加害者(特に裁判があったわけではないが、状況を客観視すれば私の行動は加害であった)側の動機と認識を棚上げしたままその人は生き続けられるわけではない、卑怯だ、という気持ちや、不合理だ、という気持ちや、裏切られたという気持ちは、本人が現れないなかで他者によって事実と状況を伝えられる中で、本人を恨むことができないまま(本人は永遠に美しいまま)、行き場を失い、世界は急に灰色になった。私はそのaffectionというなぜか英語で語られた言葉を、魂の中心に楔として打ち込まれた。文字通り私の魂をそれはaffectした。決定的に、不可逆的に、私は生きる意味を失って、あるのかわからない怒りや恨みは複雑骨折して内へと向かった。彼女は電話の遠くに数回いた、そして電子メールの向こうに数回いた、実際に私は見ないまま、なんのネガティブなやり取りのないまま、気がつけば否定されていたようだった。無垢に存在するイメージをどうすれば良いのか、私は夢の中でこのイメージの処理を、永遠に生き別れたことの納得を、する必要があった。夢の中でも、会うことができないことが続き、少しずつ姿が現れた、そしてなんらかの会話と関係を持ち、そして出てこなくなった。このような夢の中での治療は数年に及んだ。私は治癒されたのかどうかわからない。別の次元の病に侵され始めていた。喪失から立ち上がるというのは、踏みつける大地があるからだろうが、おそらく行き過ぎた崇拝から、私は大地自体を失っていた。