circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

美しい、という言葉でしか、言えない、在る、ということを通してしか詩であれない人たちのこと、かれらが、書けばすばらしい音楽を紡ぎ出すのに、書かないでいる、それは、自己表現意欲の、難しい井戸が、やはり難しく在って、かつて書くために存在するのではなく、存在を助けるために書いていたからではないか、とさえ思われる。わたしはいまだ、あすぱらさんの手を離れる前のあすぱらさんの詩を思う。控えめであるということの美徳などという言葉はちんぷんかんぷんだし、たぶん、存在の複雑な困難の前にあって、傍観者の戯言のようにしか聞こえないに違いない。

 

 

きちんとかんがえるべきことは、わたしは、こもんさんがいるとすれば、きっとそれは≪光りの魔術≫で、あのひとは、いるようで、ほんとうは「いないのではないか」と、あのころ言っていて、それはおかしくなっているのだと、言われたのだけれど、ほんとうに、い な か っ た、ということの、ことの、ことで、わたしの直感は正しかった(にもかかわらず/だからこそ、惹かれていた)ことについて、もうすこし、もうすこしかんがえてみた、い