circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

彼らと出会ったのは、彼らがもう幼さから脱したのち、電話を掛け合う仲ではなくなってからのことだった。彼は電話で彼の詩を読んでくれた…あの世から聞こえてくるような、か細い、しかし、作った声ではない、演劇的ではない、それはもう一つの遠い部屋から聞こえる彼自身の声だった。彼女が彼女の詩を読んでくれたのは、電話ではなくて、いまはなくなった高田馬場のカフェで、やはり、作った声の張りや抑揚がデファクトスタンダードのリーディングの世界で、彼女は遠い部屋からか細く彼女が話すままの声で読んだ。その二つの細い声が、同じ遠い自然であることに、わたしは永く気付かなかった。彼が、彼女が、まだ中学や高校に通っていたころに、遠い北の地と南の地のあいだの夜に細い線をつないで、新しく書いた詩を、代わりばんこに読んでいた、ということを、なんでもなかったことのように彼女から聞いて、わたしはその絵の美しさに、言葉を失ってしまう。僕がポエトリーリーディングを憎むわけは、個から多なる他へ発信されるものであり、そこに裸のか細いあなたの、かすかなおうとつはすべて、張りと演技に白塗りされるからで、わたしは、あの彼らの夜のささやきが、かれらの今だけでなく、かれらのあの世まで貫いていただろうことを、そして、かれらの処女性といいきってよいだろう、みていないからこそみえていた、みていないからこそ悟っていたなにかを、彼らからうしなわれたそれを、やはりいつまでも外から、わたしのとても大切な一枚の絵として、大切にもっている。きっとだれしもが、大切な絵を、九枚ぐらい、心の中にもっていて、それは、かかれた絵や写真ではなく、主体的に思い描いたり、思い出したりすることによって、思い入れがより強くなって行く、現実に起こったことよりも美しくなって行く、そういった絵のことだ。それを、詩といったっていい。それこそ、詩といったっていい。遠い夜を、寒い夜を、線を貫いて、涼しい、中学二年生と、高校一年生の声が、行き交いしていて、それが、透徹した、経験されない性についての、そして、ほぼ経験されているに近い死についての、どこまでも、透徹した、透徹した、透徹した詩文であったこと、