circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

わたしが読んでいた佐藤愛子遠藤周作を彼が読み始めたのは中学時代のことだった。なかでも佐藤愛子が死について書き綴った本と、遠藤周作が性について書き綴った本を何度も読み返していた。中学1年で夜尿症を京大病院に通って治した(何の薬も与えられず、ただ、尿の量を計量カップで測り、できるだけその記録を伸ばすという治療だった。自律神経を自覚によって強くするといった一面があったのではなかっただろうか。彼は自律神経系が弱いのでないかと思うことが多い)。と思ったら次にすぐ精通が訪れた。彼は恥ずかしがることもなく、夜尿症のパンツを渡すのと同じようにその精液まみれのパンツをわたしに渡した。遠藤周作が書いているように、性は精神の暗く深い霧のような場所にあると彼は信じているのではないかと思った。彼はそれ以来高校2年になるまで精液のついたパンツをわたしに渡し続けた。死についてはまだ気配を感じたことはなかった。彼に死の気配を感じはじめたのは大学院に入ってから、鬱になってときどき京都へ帰ってくるとき、かばんに自殺関係の本を3冊ほど買って入れてあるのを覗き見てからだ。わたしは彼が自殺を考えていることにきづき、ハッとした。自殺という言葉を使いたくなかったので、とにかく東京でヘンなことはしないようにね、となんども約束させた。