circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

周りを変えようとしたって変わらないのだから自分が変わらなくては、という意見は正論すぎて心に響かず薬にならなかった。だからといって、環境を変えて見たって、
自分が自分である限り駄目だという呪いのこえを自分のなかに聞いていた。


もういちど、そのときの自分が、ロンドンでなにを助けられたのかを思い出せば、それは、あの人種のサラダボールのなかで、一介のニートとしてすらなく、あまりに多種多様なありかたのひとつとして、真っ白なロンドン人として、イギリス白人ないロンドン在住民の等しい権利を、ひとびとの視線から感じたことだった。まっしろな目からみれば、わたしはたいして病気でもないようだった。働かなくては、というプレッシャーが、生活保護までいけば恥だ、という、(その価値観は、わたしは危ないと思う!!)プレッシャーが、わたしを、死へ追いやろうとしていたとき、ロンドンでは物乞いがスクーターに乗っていた!そしてはなをつままれてもいない。人間の尊厳は物乞いだからといって失われるべきではない。生活保護者にバッジをつけるというアイディアをいったひとが見落としているのは、それを恥とおもう文化を強くすることに資するということで、それを恥とおもう文化こそが、ひとからひとの尊厳を奪い、自殺こそが尊厳死といわれる社会を、
つくってしまうのだろ!


声を、じぶんに、大にして言いたい。行き詰まったら環境も自分も変えるんだ!じぶんもだ!だけど、すべては環境からだ!じぶんを変えられる環境は、そんなにたくさんある訳じゃないから、たくさん、動くことだ、それは、けっしてカロヤカな逃走なんかではない!弱いものが弱いままに生き延びる為には、戦いとは違う戦いが必要となる。わたしは、けっしてじぶんのフラジリテを失いたくない。そういう戦いをしていきたい。人を抜いて倒して競争して、という価値観は、圧倒的にやばい。