circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

人の数だけ地獄がある、それを認識するかどうかだけで、また、他人を羨むのも地獄を比べているだけだ

世の中は精神病に厳しい、病歴を書けば通れない道がたくさんあり、そのごとに蓄積する痛みを受ける。心の風邪というのであれば道を開けてくれたらいいのに、と思う

わたしたちはみな、死に向かって遺言を書いている存在なのかもしれない。良い遺言を書けば読んでくれる人が現世にいて、より良い遺言へ導いてくれるかもしれないが、だれもいないかもしれない。重要なのはそれでも遺言を書くことだ

死ぬことは才能ではないよ、とわたしはあなたに言いたかった。生きることも才能ではないよ。それは運だ、そして権利だ。死を権利と認めることは難しいし、私は尊厳死をずっと求めていたが、あの時わたしがスイス(?)に行っていたら、本当に死んでいたと思う。精神病者の自殺は運のようなもので、綱渡りのようなもので、尊厳死は渡りに船になってしまう恐れがある。私は、あのときに権利を行使できなくて、よかったと思う。あのときは、本当に苦しくて、尊厳死のないことを怒っていたけれど、私は外部からのノイズが私の人生の道をランダムウォークにして行ったことで救われた。救われたのか?ランダムウォークだからもちろん死ぬ方向へ行った可能性もある。100%の死か、ランダムな死か、である。私の知らない境界の外に外乱変数がある。その嵐に吹かれて、それで死ぬなら仕方ない、吹かれながら、生きる方向は流されるかもわからない。私は救われる為に外へ出るだろう、それは多分ずっと変わらないことだとおもう