circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

一人だった、ずっと寝ていた。ずっと寝ていてはいけない、もう一年ぐらい音楽を聴いて寝続けていた。家では祖母と母は老いていく。私だけが止まっていて、家族は死に近づいていく。家族はそれほど社会的付き合いがなかった。私はなぜか死に近づいていくとは感じておらず、死は自分が選ぶものとしてそこにあった。毎日飛び降りることと首を吊ることを考えた。なんとかしなくてはいけない。動かなくてはいけない。三十を越えればワーホリのビザが降りなくなる。突破口はカナダにしかないような気がしていた。わたしは起き上がって滅多に行くことのない大阪の繁華街へ、カナダの関係のオフィスへ出かけ、ワーホリの説明会を受け、ビザを申請して、お金を払った。それから色々な人のワーホリの経験をきいた。曰く、言葉が通じない中でなかなかバイトを探すのは難しい。日本ですらバイトできない私がそんなことができるだろうか。帰りにあるく大阪の街は寒々としたビルが立ち並び、すべての労働的社会は病人である私を冷たく拒絶していた。梅田駅は盛んに人が通り、誰しもがなんらかの労働をしていた。あるいはしているように思われた。まだ若いうち(のはずだと思っていた)二十代後半の死にかけた私は疎外感を感じた。街にいてもベッドにいても変わらなかった。結局カナダには行かなかった。ワーホリビザは気がつけば無効になっていた。大阪の街を何かの目的を持って自分の足で歩いたのはその時が初めてだったから、印象に強く残っていて、未だに大阪へ行くのは、少し怖い。