circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

入院記を書いた病院を訪ねていくと、なくなっていた。大きな、ぴかぴかの商業ビルが建っていた。入院している間、窓から見える小学校から声が聞こえていたが、まだわたしがいるうちに廃校になって、最後は建物だけ眺めていた。寂しかった。天井に花火を思い浮かべて、進まない物語をネットに書いていた。Zさんと、インターネットの上で。まだ残っているかもしれないけれど、場所を忘れてしまった。(もうここをみていないと思うけれど、あの時はごめんなさい。)

 

廃校になった小学校も、古い建物だった病院も、なくなってしまった。通っていた、あるいはサボっていたジムはまだあった。座って、時々絵を描いていた公園のベンチも、まだ残っていた。

 

なんどもなんども歩いた外堀公園を、誰と歩いたのかもう思い出せなくなってしまった。あれからもう二倍の時が自分を過ぎたのだと思うと、声を失ってしまった。

 

あのとき、ここは天国にいちばんちかいばしょではないか、と書いた。天国はそのあと、何度かみた。たとえば、ラッセルスクエアで。ここも、大切な場所の一つ。病院は無くなってしまったけれど。わたしの病にとっての記憶と記録が、なくなったことは、わたしにとってどんな意味があるだろう。たぶん、この日記も、あの場所で書いていたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。

 

教会に行こうと思う、あの広い教会に。須賀さんの葬儀のあった。わたしはなんどかあの広い空間に身を浸して、透明になった気がした。わたしはキリスト者ではないし、そうならないと思うけれど、わたしの天国に近い場所にこの教会があってくれることは心強いことかもしれない。