circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

朝、白い靄のかかった湖の周りを歩きながら、私の作りえた日本語の組み合わせの一つでもあっただろうか、と考えた。周りでは中国語しか聞こえず、日本語の私の思考は(もし人の思考が吹き出しで見えるとすれば)孤独だったし、そういう時にしか考えられない内容もあろうと思われた。「今夜は月も見えないし、君の名前も思い出せない」というフレーズを頭の中で口ずさんで、村上春樹的だけど、それは私のもので、私の身体のリズムそのもので、死んでもそれが誰かに残れば十分なように思われた。「コニーアイランド。僕らを乗せて、ボートは揺れて。」ずっと昔に書いたフレーズが、誰かが読んでくれたことで私の中に鮮明に残っている。幸せなことだ。わたしが生きたことで、生まれなかった言葉の組み合わせが生まれる、それが上手いものか下手なものかわからないけど、下手でも誰かに残るかも知れず。霧の中で大きな湖を一回りした。日本語も英語も聞こえてこなかったが、リスと猫とは仲良くなれた。と思う。マルコ・ポーロはかつてここを天国と呼んだ。私にとっての天国は、モントルー上高地のことで、ここもまた霧の朝の湖面はそれらに似ていて、でもそれらと違って街はあまりに活気に溢れている。一人ひとりの顔はあまりわたしと変わらないし、わたしは普通に中国語で話しかけられる。英語が不得手だから、という理由なのかも知れないが、むしろ、中国という国の、日本からは見えていなかった多様性のせいではないかと思った。中国にイスラム教徒もいるのだし、少数民族もいて、わたしのような顔のものが中国人でない理由がないのだ。戦争のことをずっと考えていたら、思いがけず日中不再戦、と書かれた大きな石碑の前を通った。人通りはなく、近くのベンチに高齢の男性三人が座っていて、わたしが前から後ろから石碑を眺め写真を撮るのを見ていた。