circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

たいせつなのは。どんなにか、ばかばかしく、品がなく見えても、作っている本人が、泣きながら作っているということで、そこには評されえない、切実さがある。最強、最終のバズワードが出た。仕方が無い。切実さは、それだけは、批判できない、論じることができない。それは、感じることしかできない。論難するものはそれゆえに感性を閉ざすことがあってはならないと思う。わたしは論難し、同時に切実さに動かされているのだ。結婚式は、どうしても描かれなければいけなかった。少女は助けてくれた青年を思い続けなければいけなかった、泉に祈る(…)らなければならなかった、そして結婚しなければならなかった、わたしは泉でぷゲラと吹き出したが、しかしなんども思い返せば、わたしにはペラペラであっても、彼には心底それが必要なのが感じられ、そしてわたしは、あの緑、緑、緑色が脳のなかの目に、遡行して焼き付いて行った。ノルウェイの森、百井とあそこは、同じ場所だ。と思った。だれにでも、たいせつな場所はある。それを、彼は、隠さなかった。