circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


自分が、綺麗と汚いに分裂して、美しさに焦がれる側面のなかでひとに寄り添い、その途端に汚さを噴出する、ということがよく、ある。



ひとが、私のために流してくれた、美しい方の涙のことを覚えていたい、そしてそれを裏切らない人間になりたい。



この曲芸的な皮肉にしても、あるいはこの裏返しであった空への岬にしても、絶望と希求の淵で内面を曝け出すことが、インターネットのなかでどれだけの意味があるのかの試行だったように思う。わたしはおそらく、鬱と分裂と不安のトライアングルに、そのせいで陥り、薬を持たずに異国の地で他者と巡り合う中でそこから抜け出し得たのではないかと思う。それ以降の岬と皮肉は、意味を失っていたのかもしれない。この種の殴り書きを沈める寺で始め(てしまっ)た2002年ごろとは、時代が変わって、ブログというものがまだ珍しい頃ではないし、ツイッターがもうその種の内面を氾濫させてもいる。病んだ人間の考えを恥も外聞もなく書くことで、私が、そして誰かが救われるかも、という、仮説も、もう考えるに値しないものになっている。内面の垂れ流しに、何らかの文学的意味や価値があったなら、と、願わずには、生きていられなかったし、今ですら、何らかの何らかだったらなあ、と、思う。わたしのために、わたしが高田馬場で寝転がって読んだものに、涙を流して下さった人のことは、繋がらなくなってからも、一生覚えているにちがいないし、在り方がやっぱりちがって遠くなってしまった詩人が、かつて、ファンです、と言ってくれたことも、それが何にかかっていたか分からないまま、やっぱり一生覚えているだろうとおもう、いまは亡い詩人たちのことも。日本語を一人で美しく骨折させていたフランスの人のことも。ひとりの男性が作り出した幻影の透明な詩人のこと、「彼女」との複数の交通のことも。過ぎ去って、全て美しくて、残ったわたしばかりがクソだ。ここまで女性のことしか触れない自分の傾向もクソだ。女性ばかりが美しく見える自分がクソだ。わたしは生きることにした。いずれにせよ、わたしは生き延びたのだ、誰と比べるのではなく、美しい人しか死ぬことは許されないとしても、わたしは少なくとも、危うい綱渡りを、皆さんの力でわたってきている。サバイバー、という言葉が、最近心にはまりました。青春とは、死と生の危うい綱渡りの時期のことであり、わたしは生きることに決めたから、わたしの青春は過ぎ去ったといえます。閉じるために、ここを閉じるのか、沈めるや空へとともに何らかの形にまとめようとするか、考えてみようと思います、