circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

平和という概念を愛するということは、今の世の中では、たいへん左翼的で、頭が悪く、ブルジョワ的所作であるのかもしれない(ジョンレノンのイマジンを嫌悪する人たちがいる、という番組をcnnかbbcか何かで見た、あれ(イマジン)は想像力のないかねもちの戯言だ、みたいなことを言ってた)けれど、わたしはやはりしゅうきょうみたいに、戦争いやだと思っているのは、わたしの血の中にたけみつ的なものが流れていて欲しいと思う程度にたけみつ的なものを愛しているからだろう。小さい空の中に聞こえる、たけみつ的な和声としかよびようのないものが、戦争を辞書に持たないのだ。和声が、わたしを平和にさせる。たけみつの和声学が必要だし、わたしはそれを引き継ぎたい、とぼんやり思い続けている。なによりも、なによりも、自分の和声感覚を持つことが大切だと思う。



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Tristeという曲が最後から二番目にあって、りょべえととゆうひとは和声的に独学感が強いひとだと変に思ってきたけれど、このきょくにはたけみつてきあこがれが噴出する瞬間がある。同じ空を見ていたのか。



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勝手な私のきおくのなかで、たけみつが、私の曲ではあまり明確な引用がないのだが、夢の引用ではドビュッシーをどんどん引用した、と言っていたような気がして、私が知る限り、ふぉりおす、でバッハのマタイを美しく引用したほかに、もうひとつ、ゆめのへりへ、の最後(そう、ふぉりおすとおなじ)に、La filadoraを引用しているのがあった。ゆめのへり、は、ギターのために書かれているから、かれが、りょべとのLa filadora編曲を意識しなかったとはあまり思えない。Gさんがせかいでいちばんうつくしいりょべえとを弾くのを聞きながら、その空にたけみつさんのそらを見なかったかというと見得たような気もした。すくなくとも、はじめて彼が発見した、トリステ、を聞いて、そこにありえないはずのボサノバ的和音を見つけたとき、同時にたけみつの夢だ、と思った。あの小声で夢見ること。小声で抵抗すること。