circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

敬愛する詩人が書いた理論書を読んでいる。詩人が論理を書くこと(でもたぶんそれは、ただの論理ではない)。「フィクション」とは何だったのか、ずっと考えている。わたしには筋というものがわからない。「筋を作ること」の意味が分からない。作るものではなく、フィクションを生きたこと……の後ろ側……あるいは「なぜ」を、今度は左脳側の働きで…いや、右と左はそんなにも可分だろうか?わたしは、論理の裏側に流れてやまない詩性を透かして見ようとする。違う言葉遣い/筆者は、3つ以上の文体を必要に応じて書き分ける、とどこかで書いていた。その、わたしの一番好きな、というよりも、(わたしのしらない)日本文学史に燦然と輝く(とわたしが主張する)その文体は、あとがきの最後の行に顔を出すのみで、だからこそ、わたしは本論の後ろに流れる何かを掬い取りたいと眼を凝らしている。いろいろが見える。ようなきがする。たくさんの月がぼんやりと光っている。