circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

絶望の代償に、私は絶望してない人たちに対する何らかの位置に私を置いていた。死しかない、狭められて、永遠の回路を回り続ける地獄の思考の中で、私はそれでも、こうすれば絶望がないのだろうか、という試行的な想像に瞬時至り、すぐに思った。絶望しない人生だなんて!あるいは、それは、絶望しない私だなんて、の意かもしれなかった。


あなたは良いものを作りたい、そのためなら身がどうなってもかまわない、なのですか、それとも、良いものを偉い人やたくさんの人に認めてもらって、自分が目立ちたい、なのですか、そしてそんなだからなんにも作れなくてせめて絶望するぐらいしかできない、作れないから在り方だけで楽をしよう(そして死のう)、なのですか。良いものを書いて、でも世にしられないまま亡くなった人のことを思うと、私なんか、絶望にも値しない、死ぬことを神に愛されない、死ぬことができる人は美しい人だけに許されるのだから、私は、絶望の特殊な位置なんてポーズは諦めて、にこにことバカなことを言っていればいいし、好きなことをバカみたいにやればいいんです。好きなことが、許されないということを、自分の枷に、クレドにする必要なんてない。存在として、あなたは救世主ではなく、民なので、民として、きょうじゅすればいいし、ノブレスでないのにノブレスオブリージュ的犠牲に憧れるのはとんだ、とんだ



もっとバカになりたい。バカみたいに、欲に従って、考えないでいきたい、死ぬときに、悩みの多い人生だった、とか、思いたくない。



たぶん、マグマを持て余しているから、暴発するんだろう。わたし、瀧口さんが岡上さんに言った「続けて見なさい」って言葉、すごいと思った。先生!て思った。たぶん、わたし、先生を探しているんだと思う。何か作って、持っていける先生が欲しかったんだと思う。カウンセリングでパステルのお絵かきを毎週持って行っていた時代は、続かなかったけど、楽しかった。わたし、先生が欲しいし、いつかそうやって人を励ませる人になりたい。まいにち、修造!(私家版)を作ろうかと思うほどに、いま瀧口さんが気になっています。日めくりデカルコマニー。