circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

寂しさや、悲しさや、暗さのどん底にある人に届くのは歌だけではないのか、詩だけではないのか。悲しみの底に寄り添えるのはうただけではないのか、声だけではないのか。悲しみの人に寄り添えるのは悲しみの人だけではないのか。うたにもいろんなうたがある、こえにもいろんなこえがある、やさしいこえがあれば、恐ろしい声があり、やさしいうたがあれば、恐ろしい歌がある。誰も寄り添えない世界の端に羞じる人よ、恐怖の淵におびえる人よ、もはやまとまった文章も読めず、絵にも意味を見い出せず、映画など没入できない人たちよ、詩人の声を聞け、詩人の本を読め、そこにあるのは底にあるものだ。底の人のために底に降りて行った人の声だ。やさしいこえ、のほうだ。やさしいうた、のほうだ。底に降りていく人は底の人よりも少しだけ余裕がある。たしかに少しだけ余裕はある、けれども、悲しみに寄り添えるのは悲しみだけだ。底の人たちは光の入らない半地下の部屋の壁にへばりついてうつむいている。短い声しか聞くことができない。短い歌を、やさしい歌を、やさしい歌を、短い歌をわたしにわたしにわたしにわたしにください私はそれを何度も書くだろう私はそれを何度も読むだろう私はそれを何度も歌うだろううたようたようたようたびとよあなたの死はわたしには生でありあなたの生きた過去はわたしには現在でありそうそういった人を、詩人の名で呼べ。
  
 


  創造の草笛 

あなたはしづかにわたしのまはりをとりまいてゐる。
わたしが くらい底のない闇につきおとされて、
くるしさにもがくとき、
あなたのひかりがきらきらとかがやく。
わたしの手をひきだしてくれるものは、
あなたの心のながれよりほかにはない。
朝露のやうにすずしい言葉をうむものは、
あなたの身ぶりよりほかにはない。
あなたは、いつもいつもあたらしい創造の草笛である。
水のおもてをかける草笛よ、
また とほくのはうへにげてゆく草笛よ、
しづかにかなしくうたつてくれ。