circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

Hさんが残してくれているこころの闇から離れがたくいる。
今日は一つの指差し
https://www.youtube.com/watch?v=iY74itDa-Mw
12:30-
PG氏、比較的インテンポなまま大きくなっていく、12:54の前、ふぉるてしもふたつ、そして急に小さな音、そのままピチカートへなだれ込む。
一方、

HT氏
https://www.youtube.com/watch?v=OwNPBYyz4eY
28:09-
28:27の中声部のヴィブラートがとても効いている、ここで思い切り羽が伸びた感情の加速が生じている。恐ろしいがこれは歌だ。音が大きいだけではなく、助走があるので伸びるし、下に歌がある。28:39、彼はここを頂点にはしない。28:34にすでに頂点を迎えてリタルダンドをはじめている、中程度の大きさで終えた後に空虚な28:34のベースを、ならしてから、すぐにピチカートになだれ込まない。そこで、いちど真っ暗な宇宙がある。そしてそのあとに思い切り大きなピチカートが現れる驚き。これは死だ。向こう側の、世界だ。

PG氏の13:00から聞いて13:10に現れるここも宇宙の空虚だが、
HT氏の28:49から聞いて、空虚に至る前の大きな大きなリタルダンド、そしてそのあとに、な に も き こ え な い
そのあとのたたーん、の「ただ鳴らされている」小ささ、一方PG氏はヴィブラートをかけているかのような、歌が聞こえてしまう、音楽が生きた人の物になっている。HTしがやっているのは、死者の音楽だから、そこに歌はない。ただ三味線のようにたたき切られていったあとに、こそ、音階の波の中にSegovia的なビブラートとポルタメントの意味が現れる、死んだはずのものが生きた声を発して叫んでいる。そのコントラスト。

天才だ、天才だ、といくら繰り返しても、それは僕がするべきことからきっと遠い。