circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

僕と先生は講堂前の草地を抜けて歩きながら、二人で話した。先生は人工知能やら制御やらをされていたのだと思う。電車に乗っても論文を読みます、と先生は敬語で言ったと思う。一日に最低一本を読む、研究は進んでいく、世界について行かなくてはならない。先生の背中はしかしさみしそうであったし、電車で論文を読む先生の姿を心にその時強く描いて、わたしのなかではその姿のまま、先生は亡くなってしまった。その姿もさみしそうだった。ぼくの幸せはこの方向に、本当にあるのだろうか?灯台教授というからといってそれは幸せや成功を担保するものではないのだと気づいて居た。かといって、それは輝かしいビジネス世界にあるきもしなかった、官僚の方向にもあるきがしなかった。たくさんの人が官僚になり、たくさんのひとがコンサルへ行き、先生たちは議員になり、でもそれがわたしには光ではなかった。昨日のことのように、あの先生の、疲れたような姿が、それでも論文へ駆り立てられる、わたしに出来るか、興味のもてない研究の、論文を電車で読めるか。わたしにはなにも深堀できそうにはなかった。だからといって、お金はくだらなかった。できないことばかり輝かしかった。たちばなたかしさんの仕事とか。講演のお願いの手紙を書いて、携帯に電話がかかってきた。とうじ彼は灯台のゼミをやっておらず、楽しみにしていたわたしは腑抜けになったのだけれど。講演は断ることにしている、と彼は言って、すぐに電話は切られた。かけてきてくれることだけでも感謝しなくてはならなかったとおもう。なにを思ってなにを企画したのか、すべて滑ったあとになにも思い出したくはない。大学3、4年は失敗だったと思っている、一二年がそうであったように、熱の伴わない憧れが、熱をもってドライブせず、から滑りした。思うことは、熱というのはブルドーザーのようなものだということで、ブルドーザーのようであれば逆に、それこそが熱だったのだ。底から積むこと、積み上げていくこと、出来るか、できることを、ぐわりと持ち上げていくこと、思い続け、想い続け、重いこと。それが。わたしは、できないことばかりに憧れた。熱をもってできることを、全てしなかった。それだけの反省があるのに、いまだからすべりしている。