circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

兄弟はあまりにも近かった。踏水会に泣きながら通わされたあと、車で通る裏の景色にいつか音連れる医学部はあった。そこは未来ではなく常に過去で、私は夢や未来を家のまわり一、二キロで終えたくなかったのだと思う。朝一人で、五時や六時にランニングすると、吉田りょうのちかくで、夜を青春のなにかに明かした男女どもが、走ってくる小6を笑う。私だって笑っただろう。可愛いか可愛くないかは知らない。知っているものに、なりたくなかった。彼らは、知っているものだった、東京は、アメリカは、知らないものだった。高3、NHKが、祇園を出て、恋人を置いて、上京するドラマをやっていた。それが、決定的だった。恋人とは別れることになる。私もなってしまった。私は恋人を選ぶべきだっただろうか。今だにその喪失感から立ち直れないのに。京都にいるべきだった気がしない。わたしの動機は知らないところへ
しかなかった!研究は、楽しそうではなく、わたしは、なにをすべきかわからなかった。理系は悪だと決めていた。戦闘ものの、悪の組織の理論で。人類が理科をやる、自然を壊す、戦争もする、迷惑を地球にかける、だから人類を滅ぼさなくてはならない。文明を奪わなくてはならない。ルソーやら、昌益やら。なのに理系に行った。理由は分からない。敵を知れ、だったのかもしれない。鬱の時のカウンセラーに何度も話したように、両親が芸術へ突進して二人とも沈没したからかもしれない。文系は馬鹿のやることだ、とした。ひどい。本当は愛していたのに。愛する人は医者になりたがっていた。親が医者だった。愛すべきこと。わたしは両親を憎んでいたのに。明るい家だった、そしてわたしは明るい家から弾かれ、敵になったようだ。医者になっていることは知っている。はじめからなりたいものになると言うこと。でもその夢はすでにゆめゆめではなく、現実とバランスをとった夢、だった。彼女は言った、現実と夢のバランス。うまく取れる友達がいて。わたしはあんなにとれない。海外の国境なき的な善意の医者を調べていた。いまそうなっているかは知らない。いい医者になっているに違いない。保証できる。わたしには、見えなかった、高3で、なにも、見えなかった。ひたすらに美しい恋人は曖昧に医者だと見つけていた。夢、それからバランス。バランスも夢も霧となって消えた。東京にアンバランスだけ残る。いとのきれたたこ、というのは、私のことだった。