circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

(そとはしずかに あめがふっているようだ)


土曜日、hさんの博士論文発表。一つの仕事が五年かけて終わる様子が、あまりにあっという間で。彼の生と課題が直結しているという、感覚を覚えて、それが京都のもう一人の尊敬する学者と同じで。生きるために研究している、という、何も求めないそこに、評価を与えないままのわたしたち。資本主義。(わたしはでもそちらへ立つ。わたしは社会主義を憧れるゆえに共産主義に立てない)


むかし潜った校舎は新しくなっていて、潜って弾いていたピアノの部屋は移っていた。鍵がかかるようになっていた。


上野で少し話した
共産主義千年王国のはなし
いじめられっこを真ん中に置いたことにこそ私はキリスト教に惹かれる、というはなし
なぜソ連ばかりあの深く暗い情熱的な映画をうみだせたのか(たる、そく、ぱら、げる、蘇れ!、遠い見送り)
ラヴェルはピアノでクープランまで、あるいはギリシャまで遡ることができたが、オーケストラ版はスペインの血の騒ぎが出てあの寂しさの高さを得ていないと思う、というはなし
いつもの、わたしの、(くものすのかかったガラスの箱をすかしみてみえるあの、おうごんのじだい!)