circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

21のあのとき、二回も本郷の交換留学説明会に出て、事務局の人にも顔を覚えてもらって、アメリカに行きたい、カリフォルニアへ、と思ったのに、やっぱり僕なんて、と踏みとどまったのは、あの一ミリの勇気のなさは何だったのだろうか、やりたかったことは多分そこにあったのに、灯台は名前ばかりで腐っていて、どきどきしない、まわりに生き生きと学んでいる人などいなかった、私も、そうだった。焦りが消えないし、梯子の上で外来語の本を未だ探している気分だ。なぜなのか、なぜなのか、と過去を問うても、なにもあらない。高3、兄弟の医学部でエイズ研究生活をする先輩の研究室を一人で訪ねた。高校の先生の、紹介。立派な研究者になれ、人類の、役に立て。と先生。先輩は、大学に入ってから高校以上に頑張った、と言う。京都のそらはしかし、暗かった。試験管試験管そして。試験管。生活は。それでもやるのだ。人のために、と目を輝かす先輩。高3は、なれない、と思った。