circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ざぜんのとうきょうぶしのをなんどもみる、らめちゃん、と、にびょうしのうえで三連ぷをとるようなゆっくりさで、でもそれはやはり短めのはちぶきゅうふがある。五線譜はかけませんので、とかれはいう。ゴゲンゴゲンゴゲン。みじか。いぜん。かけりょん。などの言葉をつぶやきながら、あいまいってない。五線譜では伝えられないものがある、その、リズム感であり、微分音でもある。クラシックに幻滅はしていないが、ぼくはクラシック演奏者どもに幻滅している。楽譜に書いてない、とかれらは言う。わたしが書いてないことをやるときには。書いてあることをやるなら自動演奏にやらせればよい。そんな簡単なことすら分からないのかといつもざぜんがやっていることのドキドキ感、第二期デートコースの前の人の尖り方、。肉体教師の変態教育の後ろでキーボードを弾いているときのキクチさんのふくみわらいがとてもよいとおもう。


らめちゃん、のこれしか無いリズム感は、これしか無いのに、五線譜にすくえあに書けない、らははちぶきゅうふより早めに出る、めもたぶん、ちゃんも。なのに何故フィットするのか。