circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


この録音だけのために、僕はいつまでもクナ信者である。神が降りてくる瞬間があった、という昔の人々の声は、確かに本物だったはずだと思っている。彼の録音はあまりにも音が古くて、たいていがぐちゃっとしているのだけれど、この録音の透明性は一体なんなのか。ブルックナーにおいて、見通しの良さ、分離するということ、分離しつつ透明であること、の大切さの全てがこの録音にあると思う。なんて美しいのだろう、と能もなくわたしは繰り返す。わたしは繰り返す。なぜクナはこの他に素晴らしい録音をブルックナーについて残してくれなかったのか。いや、初めてこれを聞いた中学生のときから以降、クナ録音を探し続けていたけれど、どうしてもこの感動を上回るものがなく、クナは意外と荒々しく、意外とリズムがゆれるブルックナー、というのを聞いてばかりいるような気がする。指揮者になりたいと思うとき、まず憧れるのがクナの8番と、シューリヒトの9番と、バーンスタインマーラー9と1で、とくに他にやりたいことは何もないような気がする。


それにしても、なんて山感なのだろう。うまく言えないけれど、森だとか、山だとかいったとても美しいものがここにはあって、CDをかけながらどうしようもなくどうしようもなかったことを覚えている。京都の、中京区のちょっと奥まったところにある小さなCD屋さん、クラシックの変なのがたくさん置いてあって、シェルヘンのベートーヴェンはそこで揃えたけれど、店主さんに「シェルヘン?やめとき」と言われたような記憶がある。