circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

わたしは詩が好きなのではなくて、エクリチュールのなかの、女の人のパロールが好きなのだと思う。文体、ではないの。語り、なのだけど、そこには声があり、時間があり、温度があり、電話のささやきのように、でもひとりごとである、そういった全てが好き。好きな人が死ぬのはつらい。好きな人が書かなくなるのは辛い。好きな人が遠くなってしまうのはつらい。


そもそもいなかった人もいたけれど、わたしはその人のことは好きだったし、たしかに、いて、いなかったのだと思う。その人はいなかったけれど、あの体温や、あの声や、あとひとりごとの言い方は、たしかにあった

わたしは詩が好きなのではなくて、エクリチュールのなかの、女の人のパロールが好きなのだと思う。文体、ではないの。語り、なのだけど、そこには声があり、時間があり、温度があり、電話のささやきのように、でもひとりごとである、そういった全てが好き。好きな人が死ぬのはつらい。好きな人が書かなくなるのは辛い。好きな人が遠くなってしまうのはつらい。


そもそもいなかった人もいたけれど、わたしはその人のことは好きだったし、たしかに、いて、いなかったのだと思う。その人はいなかったけれど、あの体温や、あの声や、あとひとりごとの言い方は、たしかにあった


亡くなった人の日記の一瞬が、あんまり美しくて、あんまり美しくて、価値というものが、おかねで測れないことのもっともなことが、言葉であり、佇まいだと思う。わたしは、その人の佇まいを必要としているのに、せかいにとっても、そのはずなのに、それはお金ではない、