circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

夢をみるような声で、あなたはモゲールの道、花、空、きちがい!と叫ぶ子供達の話をする。ここの夜はモゲールではちょうど昼下がりだろうか。どうしてか、とても寂しいのは、鬱のときにともにいる大切な人は、かならず離れて行くから、だろうか?二人きりの彼らは、ひとりはノーベル賞をとり、ひとりは死ぬだろう。彼が死んだからこそ、たぶん彼はよみがえり、あるいは読まれることとなったのだろう。


わたしは小さな舞台のことを考えます。観客は村の十数人。人生の最初で最後の舞台を演じる俳優のことを考えます。彼女の演技を見たのは、後にも先にもその十数人だったのだけれど、それが歴史上の名演となれない制約とはならないということです。彼女が亡くなったあとに、わたしは彼女のことばの抑揚を思い出し、いまだに波だが出るのだけれど、それは小さな、名のある人の誰も注目しない舞台であったこととは関係のないことです。