circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

晩年のサンソン・フランソワといえばラヴェルドビュッシーがすばらしいという印象ばかりなのだけれど、最後のころにスクリャービン三番も弾いていて、これはおそらくこの曲のなかで一番すばらしい演奏の一つになるだろうと思う。ドラマティコ
http://www.youtube.com/watch?v=cALMktaOP1o

フランソワはその「崩し」がドビュッシーを絶品のものとし、ラヴェルの「高雅な・・・」をだめにしてしまう一方ソナチネクープラン墓をやはり絶品としているのだが、この演奏を聴いていると、スクリャービンも「正しい」崩し方を絶対的に必要としているのだと感じてしまう。崩さなくては成らない、ということ、ただし、スクリャービンの音楽が求める方向に沿って

François himself said "never play simply to play well" and, in a remark clearly inspired by his jazz influences, "It must be that there is never the impression of being obliged to play the next note."
http://en.wikipedia.org/wiki/Samson_Fran%C3%A7ois