circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

クインテットの二楽章の盛り上がるところの、ピアノの上昇音階、それに続く弦の上昇音階を聞きながら、初めてそれがジョンウィリアムズにきこえてきて、急に、全く別物と考えていた彼のウイーン時代の、マーラークリムトフロイトヴィトゲンシュタインがいたあの空気、のなかに、ハリウッドの夢が、内包されていたのではないか、など、なぜに、わたしはこんなにいま、スクリャービンコルンゴルトを愛し、マーラーブルックナーラヴェルドビュッシーモンポウへの愛から離れてしまっているのか、そこには、アメリカと言う存在が、その謎がある。スクリャービンからボストンへ流れ込んだ線と、コルンゴルトからロサンジェルスへ流れ込んだ線の先に、まだあの深い夜たちの可能性が、たぶん、ジャズのなかに眠っているのではないか?どうしてそこまでジャズのことがきになるのだろう。バーンスタインがなにかのレクチャーで弾いたジャズのかたはしの美しさと、たけみつが長野で一人の夜に弾いていただろうジャズピアノのことを考える、バーンスタインが売れなかった頃に食うためにジャズを弾いていたニューヨークにわたしはいたかった。そこには夢があっただろうと思う、それはたけみつの文脈の夢ではないだろうけれど。瀧口の夢ではない…