circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

4年のときの作文「つくえとの思い出」


 五年生はもうすぐです。このことから考えると、ほとんどの人が、
「クラスがえで、友達と別れてしまうかな。」と思うと思います。ぼくもその中の一人です。でも、一番ぼくといっしょにいたのは、たぶん、学校のつくえではないかな、と思います。だから、ぼくはつくえと別れる悲しさというものもあるのかもしれません。
 ぼくがこのつくえに初めて会ったとき、
「あなもあいていないし、きずもあまりついていない。」とよろこんでいました。
 その時のぼくは、うれしかっただろうな、と思います。
 春の遠足が近づいてきました。ぼくは、先生からもらった遠足のプリントをつくえの中に、入れました。つくえが、
「春の遠足、がんばって歩いてね。」といっているように聞こえます。また、
「ぼくも行きたいな。」というふうにも聞こえました。
 春の遠足もすぎて、二学期になりました。ぼくは、学習発表会の楽ふを見ていました。
「ああ、むずかしそうな曲だな。」と思いました。つくえは、
「うん、むずかしそうな曲だね。でも、がんばれよ。」とぼくをはげましてくれたようでした。そして本番、ぼくはがんばってえんそうしました。
 やがて、学習発表会もすぎて、図工の時間が多くなりました。小物かけを作るのです。木を切るのに、糸のこぎりを使います。ときどき木といっしょにつくえまで、切ることがあります。そんな時、
「あっまた切ってしまった」と思います。でもそのままにしておいてしまいます。
 ぼくはつくえをなおすことができません。だからとまどっていました。
 かわいそうでした。
 二学期もすぎて、三学期に入りました。スキー教室が近づいてきました。ぼくは、つくえの上で、そりを作っていました。そりができ上がったとき、そのそりを、つくえの上に置いて、ながめました。
「うまいなぁ。」と、自分に自まんしました。
 下からそりを見ていたつくえはどう思っていたのでしょうか。
「へたくそ。」と笑っていたかもしれないし、
「うまい。」と思ったかもしれません。どっちにしろ、つくえがどう思ったか、ぼくにはわかりませんでした。
 そして、五年生はもうすぐという今になってしまいました。たぶん、このつくえは、また、だれかが使うでしょう。その人も、このつくえとの思い出を作るでしょう。その人は、ぼく以上にこのつくえを大事に使ってほしいと思います。
 五年生になったら、どんなつくえに会うのかなあ。


(注:たいていの人がつくえのことなんか書かないだろうというので、裏を書いてつくえとの思い出という視点で書いてみたが、よくアイディアだけでこれだけ押し切ろうと思ったものだ。実際押し切れてないし、すごい勢いで時系列飛んでる。けどそれでも書くのが楽しくて仕方なかったのだ、このころは、もう。他人と違うことをしていると思い込んでいたのだ。)