circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

悲しみはどこへ向くのか
で五と七 後の五や七たちは埋められないままでそこにあるような、ないような
三次元のことをイメージしたのに、音盤にすると二次元になってしまって、おもったような音にならない、と彼が言ったそのような
ある、あるけどない。そのようなないけどあるもののかわりに、それが形を取れないからと言って、違う何かを人工的に埋めていくべきだろうか?
おこることをやめることからしか、安らぎはこないのです、と人いう。おこらないでありたいです、のに、ぼくはいつも怒っている。死にたい、よりも、コロス、が、
口癖になりました。治癒の一環と
とらえていますが、さにたいよりいいという意味で。でも、どちらも悲しい言葉だし、しなないしころさないし、あるだけでフラジャイルにある、という在り方で、伸びれないのですか。