circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

2016-01-01から1年間の記事一覧

やわらかいということと時間。わたしがじぶんを見失って夜行バスに乗り国境を越えたあと、ふらふらと辿り着いた海沿いの街の話をしたい。中には入らなかった歴史あるオペラ座のことや、まっすぐに伸びた海岸線、に向かって広がっていく視界、を遮らない解放…

僕は自分が救いがたいことくらいしっているんだよ

テリテ。 ゆるされろという言葉が聞こえると言ったあなたはゆるされましたか

そことここ こことそと こことないこと

アスパラガスを育てる会へようこそ

あこがれは届かないだろう 美しかったやまぎわに日が落ちてみずうみだけの道をはしるくるまに寝ころんで 気がつけば 特に惹かれる線だったわけではないただたがいちがいに現れてとてもそれはとても 堕胎した悲しみや短い息継ぎの喜びや あきらめやこがれや

神様が衣をなびかせて上からおりてくる。手を広げて待っている。踊っている、踊って。奥を見つめる。

詩人には、勢いとともに言葉が出て止まらない時期があった。そしてその水は枯れる。枯れた後の人生をどう生きるのか。それは詩なのか。

ジャクリーヌ・デュプレの弾く無伴奏チェロ一番が、少しも魅力がない、ということが、ディスではなく、彼女の最後のフランクと比べた時に、何かを、強烈に物語っているような気がする。弓によって、どれだけロマンティックなことが話せるのか、逆に、バッハ…

コルンゴルトがセクステットを書くのが1916年。シェーンベルクの浄夜が1899年。 コルンゴルト二楽章 https://m.youtube.com/watch?v=51IFHhRpCBY シェーンベルク、浄夜 https://m.youtube.com/watch?v=vqODySSxYpc どちらも濃厚に世紀末ヴィーンの匂いがする…

なんと、蟻がデリバティブ計算しているのです!!というところで起きた。

語られなかった擬態語、そして擬音語 目を閉じる、そして何も見えない

ウィーンで、あのウィーンで。 あるべき、歌い方は、モーツァルトから、ベートーヴェンから、そのまま流れ降りてきて、そのフレージングのピアノが、こうやって歌われている時に。 アメリカへ。 シュナーベルが彼の12、3歳のソナタを褒め上げて、その後のこ…

コルンゴルトのピアノソナタ二番の三楽章を聴いている。感動的なオクターブ下降、溜め、そして7度上行。ウィーンの爛熟だとか、腐臭だとか、世紀末ウィーンの不健康な甘さの闇から、飛び立っていく光は、スーパーマンの響きが隠れていて、コルンゴルトという…

甘さに手を伸ばそう

電気色した階段が天から降りてくる 足を踏み合う街で背を伸ばしている 円柱たち

書かれなかったものがたり、読まれなかった詩文、話されなかった言葉。なにも残っていない。あなたの落とした、あぁ、という響きだけが。 自殺することすら面倒だな。美しくありたいと思っていたけれど、無理無理重ねなきゃならないようなら、自分の中の他者…

敬愛する詩人が書いた理論書を読んでいる。詩人が論理を書くこと(でもたぶんそれは、ただの論理ではない)。「フィクション」とは何だったのか、ずっと考えている。わたしには筋というものがわからない。「筋を作ること」の意味が分からない。作るものでは…

夜の御所を歩いた。誰もいなくて、周りには建物が見えず、樹だけが広がり、ぼくたちは砂利をじゃりじゃり進みながら、10年前とさして変わらない話をした。生きているんだな、と思った。美しさとは、君の目が切り取ったある時のことで、君がそれをどこかで文…

あなたの歌が好きだったんです、と私は言った。目の青い人はじっとこちらを見ていた。池の深くを見るようだった。そして池の底にわたしが映り返されてくる。

夜だった。そのビルの軒先で傘を畳んだ。雨がひどく、繁華街の裏道には誰も通らなかった。地下のバーへ降りていくと、暗いカウンターに男性が離れて二人いた。そのそれぞれのカウンター越しに女性が二人いて、それぞれの男性と話していた。誰もいない椅子に…