circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ウィーンで、あのウィーンで。
あるべき、歌い方は、モーツァルトから、ベートーヴェンから、そのまま流れ降りてきて、そのフレージングのピアノが、こうやって歌われている時に。
アメリカへ。



シュナーベルが彼の12、3歳のソナタを褒め上げて、その後のことを嘆いている、ということを、思い出して、彼を通じて、ウィーン精神的な何かが流れ込んだ最後の土地だったのか、とぼんやり思い、しかしなぜこんなにも早く才能が涸れたのか、そして涸れた後の作品ばかり有名になるのか。なぜヴァイオリン協奏曲なのか、なぜ交響曲なのか。枯れるまえでもなぜ死の都なのか。なぜピアノソナタ2番の2、3楽章ではなく、セクステットの緩徐楽章ではなく、別れの歌ではなく、ピアノクインテットの緩徐楽章でないのか。彼の本質は(ワルツと)緩徐楽章ではないのか。そして息が飲むような転調ではないのか。