circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧

いろいろおもいだした。 http://ondine-i.net/column/column117.html

恋人が英詩人の論文を書こうとしていて悩んでいるところ、偶然伊詩を研究している友人が遊びにきてくれて、ずっとゼミみたいになっていた日曜日。偶然性は組み合わせにかかる。

京都のエレギ屋のオヤジさんが、十六年くらい前、二回ぐらいしか話さなかったけど、ジョージが好きで、僕も四人ではいちばんジョージが好きで、it's all too much最高すよねとかいいながら店で聞いてて、そのとき、俺ジョージのアルバム33 1/3だけは最後まで…

カシオペの音の悪いcdではなくて、もう一度ハイドシェックはドビュッシーの前奏曲集を取り直すべきだと思う。彼はいま弾くヒースをもう一度とるべきだと思う。 ytにヒースを探すのだけれどなくて、ホロヴィッツの演奏がそれには劣るけれども美しい(時間…

左手は左手の論理 右手は右手の論理 すべての声部が自分の論理で走っていく、 前に引っ掛ける装飾音が随分とまえにかかったり。 おもいのままに多声である そういうドビュッシーをハイドシェックは弾いてた。

も違う

世界と世界の美しさの違いについて

相模大野へ。 自分の恥ずかしいところが、逆照射されるように、自分の生まれてきただけで持っていると無条件に思っている物語は、そんなものないんだよ、とか、あってもいいのかもしれないけど、尊大になりすぎていないか、ときどき遠くから見て計らなくては…

海老名へ。 ピアニストが、指の早くまとまって動くところと、構造的に動かして行くところの、後者が崩壊したまま、前者ばかり心地よく走って行くようす。ドビュッシーばかり弾いて欲しかった。響きの混乱をうまく精神状態まで持っていくところ、ルドンのよう…

日々の生活が狂いまくっており、なぜか私は清原と松井の比較映画というわけのわからない夢を8時からゆっくりと鑑賞し、起きてみれば12時で、高速バスを乗り過ごしたわけだが、その夢と言うのも、女の子のための男の子の理解ビデオというよくわからないしろも…

やわらかさのためにいきている。たぶんそうなんだとおもう。ぼくはやわらかさのためにいきている。ゆめはかなえるものではなくてみるものだとおもうほうだ。ゆめをみながらふわふわとあるいていて、いつかふとしぬんだろう。げんじつをみたくはないのかもし…

こころが弱って自殺とベッド生活のどちらをとるかを迫られ続ける毎日だったころ、NYに住む母の友人が母を訪ねてやってきた。私はNYに住めばなにかかわるかもしれない、と思って、NY生活について聞き、なんとかそこに活路を開けないか、聞いた。彼女の…