circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

こころが弱って自殺とベッド生活のどちらをとるかを迫られ続ける毎日だったころ、NYに住む母の友人が母を訪ねてやってきた。私はNYに住めばなにかかわるかもしれない、と思って、NY生活について聞き、なんとかそこに活路を開けないか、聞いた。彼女のもっているお店にひとは必要ないか、遠まわしにきいてみた。彼女は、遠まわしに難しいといった。彼女は母と永く話し、わたしは2階へもどってまた寝続けた。帰るまえに、彼女は、真剣な顔をして、これも一つの縁だから、この話しをきいてほしい、といった。自分の知り合いがNYで女の子と仲良くなり、性的な仲になったが、それはマフィアのこいびとだった。それをしったマフィアは彼の顔と名前をネットワークにばらまき、彼はアメリカ中どこへ逃げても死ぬような窮地に追い込まれた。彼は日本へ逃げ、それでも危ないので、わたしにそうだんしてきたとき、私がアドバイスして、ある宗教の山の施設で集団修行に入った。はいるまではまったく信仰のないひとだったけれど、そして、血の気のないかおをしていたけれど(当然である、マフィアからねらわれているのだ)、でてきたときには顔の色が見違えるようで、「自分からマフィアのヘッドクオーターへ行き、セツメイする」といった。そんなことをしたら死ぬにきまっているので、みんな止めたがきかなかった。彼は銃をつきつけられながら、かおいろひとつ変えず、状況を説明し、土下座して謝った。マフィアは彼の態度を気に入ったそうで、そのまま解放したとのことだ。彼があやまっているとき、彼は神がじぶんのうしろについているから大丈夫だとかんじたのだという。

そういうこともある、だからいちど山へおいで、とやさしくさそわれた。わたしは、よっぽど行こうとおもった。でも、そもそもやるきがないから、じぶんからうごくきにもならない。さそいはわりとなんかいもきた。それは、いやがらせのようなものではなく、わたしの身を案じてはなしてくれているように思われた。しかし、実際かんゆうにんずうに応じて、そのしゅうきょうのなかでの地位がたかまっていくのは明らかだった。それはしっていても、そこにしゅっせへのいよくのようなものはみられなかった。祖母がとめてくれた。祖母もなんとなくやわらかく「まあやめといたほうがええで」といった。祖母がまちがうことはない、とわたしはどうもしんじているところがあるので(これこそ宗教のように)、ひせっきょくてきなわたしはべっどでいきつづけることにした。