circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

海老名へ。
ピアニストが、指の早くまとまって動くところと、構造的に動かして行くところの、後者が崩壊したまま、前者ばかり心地よく走って行くようす。ドビュッシーばかり弾いて欲しかった。響きの混乱をうまく精神状態まで持っていくところ、ルドンのようだし、そればかりはすごい、天才だなあと思うのだけれど、その他の安心できなさ、船に乗れなさに疲れてしまう。どうしてそんなに焦るのか、ベートーヴェン五番三楽章。弾けないスピードでひかなくてはならない理由はどこにあるのか。上野で、青柳いづみこさんとのトークコンサートのときに、とんでもなく恐ろしかったヒースの虹が、いまでも美しいのだけれど、すこしの焦りとともにあった。それでも、かれのドビュッシーの響きは、ルドンの曖昧なペガサスのような無限の飛躍の可能性だった。ペダリング。美しさに淫すること。