circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

相模大野へ。
自分の恥ずかしいところが、逆照射されるように、自分の生まれてきただけで持っていると無条件に思っている物語は、そんなものないんだよ、とか、あってもいいのかもしれないけど、尊大になりすぎていないか、ときどき遠くから見て計らなくてはならないな、と思った。小説ということについて、ぼんやりと考えてしまうのは、わたしが人のことなんてちっとも客観的に見ることができないからで、書けるわけなどないことは分かっているのだった。プライドという無用の(?)ものを持つ前に、私はこれができると言える能力と自信を持つべきだし、プライドよりも前に、自分の大事なものがなにかきちんと考えれば、阿ることなどないのに。プライドが実は阿りに直結しているのだと気づかされて、その驚くべき手段の目的化、によって目的が非目的化していることに、目を見開く。ありがとうと言える人でありたい。大事なものを大事にする人でありたい。いろいろ、見失ってた。プライドほど、その焦点をぼやかすものは僕にはなかったようだ。本分を弁えること、それに集中すること。繭を信用するな。