circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

いろんなひとがじぶんよりもひかってみえるときに、じぶんは他者を理想として生きているのだと気づく。じぶんからとおくいるひとが輝いてみえているが、あれはじぶんにはなれないものだ。しかし、輝いている(悲しい)。わたしは、時間から離れなくてはならないと思う。仮想自殺をしないといけない。輝いているひとたちに近づきたい気持ちはわかる。でも、そこに近づくと死しかないのだ。時間から離れるために、二人に分かれること…一人は死んだ目をしてむかない仕事をしている、ただもう一人は、時間のないところで、あの世の側で、わたしにできるはずのことを(そしてこの世で誰にも求められないことを)少しずつしていく、それしかないのだろう。好きなことに社会性を持たせる、ということは、好きなことが本当に好きな人しかできないし、好きなことを本当に好きな人は元気だと思う。残念なことにわたしは病んでいる。病んでいる人が死ななくてはならないという理はない。生きてやる、と叫ぶほどの元気はない。でも死なない。サステナブルに半分生きて半分死んでいるほかに、わたしには生き方が見つからない。この世のほかのひとからはデクノボーと呼ばれよう。そこはあきらめよう。