circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

現代日本社会の闇は無職であったり、病んでいる人から養分を吸い取って生き延びている、と端的にいえば思っていて、食べるために働くのではなく、闇へ吸い込まれないためだけに、わたしはとりあえず働いている。こんな社会でマトモなやつが病まないわけがあるか、と誰かが書いて、そうだそうですよと思ったむかし。


原発について、わたしは反原発派でもプロ原発派でもないのだけど、原発自身のことと同時に、あるいはそれ以前に、極端なのかもしれないけど、原発なしでは日本の産業が一番であることを目指せなくなり、グローバリゼーションのなかで生き残れないかもしれない、という結果のほうについて、日本はアメリカ型で頑張っていくのか?それともオーストラリアとか北欧みたいに一線からは退いてゆったりするかわりに、なにかに特化していくのか?ということも、本気で議論しなくちゃいけないんじゃなかろうか。


経済学のはじめのほうに書いておる、比較優位ということについて、もっと本気で議論しなくちゃいけないんじゃなかろうか。TPPのときもそうだけど、、、教科書にはあたりまえの原則として書かれていることを、経済のひとはあたりまえに前提としてはなすからぎろんしないし、いっぽう知らないひとは繰り返されてきた議論を繰り返していく。そして、わたしは、経済学がわりと基礎としているみたいな、この比較優位という考え方に、とても違和感をおぼえめてます。自国のなかで比較的安く生産できるからといってそれに特化してたら、一次産業国はずっと一次産業国じゃないですか。知識集約型産業の国家が汗を流さずどんどん新しいものをつくってもうけたり面白かったりする一方で。