circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

しかしサステナブルな生き方(働き方)ができないのならば、わたしはいつ何もかも失っても良いように生きなければならないのではないだろうか?わたしではないなにかのごっこをして、ごっこからお金をもらい、ごっこが本物になって適応できなくなると倒れてやめる、そして篭って病む、ということを繰り返してきたではないか。それこそがサステナブルなリフレインだということだとすればそれは地獄である。空中ブランコから降りるタイミングを探している、降りれないで。せめても、降りた時に保てる生活とは何かを見定めるべきではないか。世の中がわたしに許してくれる生き方で、いちばんわたしがこのような病のループから離れていられるようなあり方はないのだろうか。本気でそれを探そうとしてる?