circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

向くしごとをしたほうがよいとか、向かないしごとはやめたほうがいいとか、どちらから攻めるにしても、働くことが向かない人や、生きることが向かない人は、では生きない方がよいのかという、優生思想が働き、生きない方が良いという答えは出さないべきであるという体の中の倫理観が、ならば向かなくとも働けるなら働け(あるいは向く仕事がなくとも働け)とわたしに要請してくる。ほんとうに働かない身体にうまれたなら、それは福祉の話になってくる。しかしわたしは自分が働くのが好きでないと言う、あるいは何をしてみても向かないという理由が、それだけでは自分は福祉の対象とはしてもらえないと思ってしまう。ならば本当に自殺の権利というものを与えられるべきか。他人から尊厳をもてと言われるべきなのか。尊厳の問題は、本人がいうべきであり、他者が尊厳のある生き方を、と押し付けるものであってはならない(ゆえに、じさつほじょは精神病には軽々しく使われることがあってはならないと思う。本人は尊厳を判断できる状況になく、他者がその判定をすることになると思うからだ)。ゆえにわたしはわたしがみっともなくとも生きるし、みっともなくともはたらくし、ゆえに同僚に迷惑をかける、そしてくびになり、それでも次の向かない職へむけて活動をすることになるだろう。