circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

あまちゃん



ここでドラマについて感想を書くとか思いもしなかったけれど(佐々木さんのは映画と考えていて)。いいドラマでしたね!半沢は見ていて欝になるばかりだったけれど、あまちゃんは、本当に素晴らしかったと思う(文句がないわけではない)。文句のつけどころがないのは主演の二人。能年玲奈さんは、もはや存在の女優とでも言いたくなるような、もう、いてくれればそれでいい(彼女本人、ではなく、アキちゃんでいてくれれば、というところがあとで書くけど面白いところ)というような。あの眼差しが、夏ばっぱが潜るのをかっけーと見つめている、その眼差しだけで芸術として成立していたような。アナ・トレントの映画を観る眼差しと同じで、ほとんどミツバチのささやきアナ・トレントの眼差しだけでも成立したのではないかと思うのにちかいほど。アナ・トレントが存在の女優だったとすれば、同じ意味で能年さんは存在の女優だと思った。演技性が感じられない。でも、おもしろいのは能年さんが能年さんとして出ているラジオや、話題になったあさイチのゆったりした話し方、あしたどうなるかぞくぞくするしかない笑っていいとものこととか、そういう、中の人としての彼女とは全く別の彼女として、そこにいることで、そしてそれを彼女も把握している(普段の家での自分は生ゴミ、でも映像に写っているときは輝いている)こと、それは、いわゆる憑依型の女優というのではなく、演技する能年さんという別のやっぱり彼女自身なんじゃないかしら、と思った。普段にたいする自虐的なコメントからこそ、逆に演技している時の自分への全面肯定が見られる。わたしはそれは、生きる上での光だと思った。2ちゃんねるでだれかが、あさイチの彼女のぼそぼそした緊張した話し方をみて、「どこから「逆回転」のあの声が出てきているのか」と言っていたけれど、やはりあの逆回転の叫びも、オルターエゴとしての人が叫んでいるように思う、生き生きとした彼女(ときにラジオで見せているような)が出ているような気がする。火曜サプライズでウェンツさんを「クーラーさん」と名付けるセンスだとか、ラジオでの地獄のミサワごっことか見ている限り、この人は頭のいい人だし、面白い人だと思うし、絵もなにかすっと入ってくるものがある(三角形の要素を使うところ、とか)。感性の豊かさが、現実のつまらない会話言語の上に、生テレビ的スピードにのって発信され得ないだけであって、もし発信されるのであればそれは嘘だと思う。詩の言葉は有働さんのスピードでは流れ出ない。演技している時には、演技の中の文脈のスピードで、あのころころとまるで本当にそこで物事が「起こっている」ような表情の変化が生じうる、それは、現実のつまらない会話言語、生放送テレビの業界的焦りとは別世界にあるからに違いなく、あのひとを紅白の司会なんかに押し上げるのは嫌だなと思う。自粛せよ、NHK、その代わりに彼女がまた演じたくなるような役をドラマにおいて与えてあげて欲しい。いらないことを書きすぎている。言いたかったことは、あの黒々とした瞳は、そうだ、アナ・トレントのものだ、ということで、私は個人的には能年さんには次には暗い役をやってほしいな、とすごく思う。「ミツバチのささやき」のアナではなく、「カラスの飼育」のアナのような。アナだ、と思いだしたときに、眼差しということばと同時に、カラスの飼育とカラスの親指の連想が働いていて。色気路線はそのあとでいいと思う。彼女のすごく空虚な視線を見たい。
橋本愛さんが出てきた瞬間に、鉄道、東北、美少女=夢の島少女の中尾幸世さん、という方程式がでて、しかも髪型が同じだし、80年代をテーマにしたドラマでもあるからなんだかその印象が強くて。あまりにも似ている、とくに、世の中に対して冷徹にことばを吐き捨てる感じ。年齢も17,8だし。中尾さんこそ存在の女優だと思うけれど、やはり中尾さんも演じる中尾さんというよりは、中の人の中尾さんの魅力がそのまま出ているような気がして、そのあたりが能年さんの存在感とは種類が違う(アナとは同じように思う)。自分の美しさについての、自意識過剰さの、なさについて。アナがみつばち時代のことを覚えていないことについて。中尾さんが女優にならずに普通に働くことを選んだことについて。中の人議論は、どうでもいいのかもしれないけれど、能年さんにはやっぱり興味が消えなくて、ニコラ時代動画の声の低さと早口だとか、それは中学生が大人になれば声も変わるし、キャラも変わるとは思う(自然と)、けれど、彼女がその時代について、暗黒時代と言ったとか言わないとか、言ったならば、それはニコモ間の競争のようなことだろうか、などと。いまが生き生きしていればそれでいいんじゃないか、と思うのだけれど、逆に関西弁を捨てていく方向性、というのが、(もしそれを暗黒時代と呼ぶのだったら)あきちゃん同様にあるのではないかとも思う。私は彼女が関西弁で役をするのをとても見たい。そしてそれが暗いほどいい。そんなのを見たい。
大友さんのことはかつてここで映画音楽の感想でがっかりだ、などと書いたけれど、あまちゃんにかんしては、素直にいい仕事ー、と思いました。音楽が鑑賞の邪魔にならなかった。震災の日のオープニング挿入は彼の責任ではないと思う。わたしがディレクターならあそこでオープニング曲は一回だけ外したと思う。登場人物を殺す、殺さないの議論も大事だけど、そっちの議論をして欲しかったと思う。
一番心に残ったのは夏さんがはるこさんを大漁旗で送るシーン。言うこと何もなかった。すごいと思いました。とくに勉さんがそれを語るというのが良かった。べんさんがなすすべなくその旗を振っている夏さんを見ている、見ているからこそ、そのシーンは語られる(彼がなければ、夏さんが旗を振っている事実は、俯瞰で撮られるべきではなかった)。上から夏さんを見下ろすあの構図、でもはるこは見ていない。それこそ本当に泣けるのですが、その構図を、勉さんから話を聞きながら春子は見たのだと思うのですね。だから、勉さんの角度から夏さんをとっていないことは嘘にはならないわけですよね。すべてひっくるめて、このシーンがあるから、あまちゃん全肯定です。ばかみたいに、みんな見て欲しいといいます。出てくる人みんなとてもよかったけれど、本当に。そのなかでも能年さんと宮本さんの二人ですね。あと、中の人の宮本さんが、中の人の能年さんをひたすら褒めているところなど、きびしいばっぱなんだけれど、その奥でことばに出されない優しいしせんがそこにあるような気がする感じが、そのまま出てきたエピソードのように思いました。
それにしても中の人の能年さんの森の人発言はすごいいいなあと思った。尾道三部作から尾美さん好きで、というのとか、すごいいいなあと思った。ようするにどうしようもなくファンですね、これ、ミーハーですね。ただの。いつもの。
とはいいつつ、映像として綺麗なのは、なんだかちょっと過去の映像のように見える、電車の中のユイちゃんを撮る映像の空気感で、あれはもう、泣くしかなかったです、八森駅、というのを思い出しました。夢の島。なんだか響き渡っていて、いまNHKドラマ班に佐々木チームの人が残っている人がいるとは思えないけれど、佐々木リスペクトの人はひょっとして衣たりするのだろうか。佐々木著書など読んでいると、NHKの中では村八分島流しみたいな扱いだった、というのばかり読まれるので。。。
しゃべりすぎたかな。
あと、トンネルのシーンは、映画だったらこれ長回しできたのになと大変悔しく思いました。あれだけでも、綺麗だったけれど、ふたりが楽しそうに絡んでいるの、すごくうれしいのだけれど、カットしてつないで欲しくなかった(カラオケみたいになる)。しばらく走っていって、抜けるところまでとって欲しかった。もし15分長回し、某監督へのオマージュ、というのなら、あの寿司屋のはるこさんとすずかさん初対面のシーンも、カメラを切り替えてしまっては長回しかどうかわからなくなってしまうし、緊張感が抜けてしまう。トンネルは、ある程度のところからは変えずに走り抜けて欲しかった。あと、ラストも、海に飛び込んだようなアップの顔を取ったあとに、灯台横にたっているのは、日和りとしか見えなかった。飛び込んで空中で止めて終えるとか、そういうことをすれば震災の傷、というのがあったのだろうか。ならばアップも取るべきではないと思う。なんか、倫理のようなことだと思う。すこし、がっかりした。
あとは、結婚式の時に、安部ちゃんは身寄りがないため、と非常にスルっと言っていたのが、ずっと残っていました。地震なのか、もっと前のことなのか、身寄り、という言葉の重さにハッとしました。それまでの安部ちゃんのすべてについて、いろいろと思い返されることだったように思います。
あと、

2013年6月23日(日)
あまちゃん最終週の本直しに向けての打ち合わせ。我がまま通じなかった。でも仕方ない。直す。

くどうさんのやりたかった最終回はなんだったのだろう