circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

余生の中で、それでも君は何になりたい。100年生きるとして、私はもう欲はないとして(無いのだろうか?)、捧げたい何かがあるのだろうか。隣人は概念か。ありとあらゆるところに地獄はある、相対的なものではなく、絶対的に。身近な地獄から目を離して遠くの地獄に身を捧げたい理由は何か。ワクワクするのか。お前のワクワクのために人は地獄にいるので無い。私をシステムが飲み込む前に私がシステムを飲み込みたい。良きことという抽象の中で苦しむ、生産が答えでは無いことは大昔に知ってる。では何なのか?