circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

あれだけ現代のみんながグレングールドがいいというなかで、まるで踏み絵のように思うのだが、ぼくはあまりいいと思えないでいる。ぼくはたぶん、対位法を聴く耳がなく、すべてを、和声の響きの美しさだけで考えているからだろう。どうにも、たけみつ=るどんラインにいるとそう思う。しかしすくりゃが対位法わからないとやっちゃいけないきもする。
グールドが響きの流れを切っていくときの、連想としての、微分だとか、機械だとか、そのたもろもろのぽも的連想を負わされているのは僕の勝手な文脈か。僕は長生きしたいです。